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    きっと明日も手をつなごう

    無理矢理医師を目指す環境に置かれた悠(ゆう)は、両親を恨み、患者を蔑み、自分のことも肯定できず、苦しんでいた。その時出逢った生島亜実(いくしまあみ)と涼太(りょうた)のおかげで、彼は救われ幸せを手に入れるが……。
    キーワード : 20代後半、医師、家族、生と死、中編、完結、R15
    ※ 生と死の物語なので、辛い死の描写があります。苦手な方はお読みにならないで下さい。

    <父のこと> 第1話 父を知らぬ息子

     小さな満月が青白い光を放っていた。
     栖河悠(すがわゆう)は車のフロントガラス越しに空を見上げていた。月はまるで暗いトンネルの向こうにある出口のようだ。
     それともそこは入口なんだろうか。真っ暗な背景に浮かぶ月は、空の一部分だけ丸く切り取っているようにも見える。もし入口だとすれば、どんな世界に続く入口なんだろう。
     悠はそんなことを考えている自分に笑ってしまった。空を見てボーッとできる余裕があるなんて奇跡だ。

     車から降りると晩秋の夜の寒さが身に沁みた。都心から離れた山奥なので空気がより一層冷たく感じられる。
     ここにやってきたのは何年ぶりだろう。10歳くらいが最後ではなかったか。
     記憶の中の祖母の家は、穏やかで静かだった。夜に訪れたことはなく、真昼の明るく優しいイメージしか残っていない。しかし、今夜のこの目の前の家には、近寄り難い寂しさが漂っていた。開け放たれた玄関では、鈍いオレンジ色の灯りが辺りを照らしている。

     家の前に停めた車の傍に立っていると、不意に後ろから「悠」と名を呼ばれた。
     振り返るとしばらく会っていなかった兄の栖河雅一(すがわまさかず)が笑顔で手をあげて歩いてくる。悠より先に到着して、タバコでも吸いに外へ出たんだろうと思われた。
    「久しぶりだなぁ」
     雅一が悠の傍まで来て、彼の肩をバシバシと叩いた。
    「……ああ、久しぶり」
     悠は苦笑いしながら兄の手を払いのけた。この人はいつもこうだ。気が良いというか、何の考えも無く親しみを込めて悠に接してくる。それは子どもの頃から変わらない。


     悠が大学受験で四苦八苦していた11年前、すでに小さな会社に就職していた雅一は23歳だった。俺の苦労も知らず、あれから呑気に人生を謳歌しているに違いない。それを考えると無性に腹が立つ。
    「どうなんだ、病院の方は……。おまえちょっと痩せたか?」
     雅一がまた懲りずに悠の肩に手を置くのを、悠は掴んで返した。
    「その話はまた後で。先にばあちゃんに会ってくる」
     兄を笑顔で突き放し、彼はさっさと家の中へと入っていった。

     玄関には誰もいなかった。普通こういう時なら1人くらいは受付がいるものじゃないのか?
     仕方がないので勝手に中に入ると、親戚と思われる人々が集っていた。座敷に座っている彼らは、通夜の席にしては思いのほか笑顔だった。親族だけということで、形式的なことより亡くなった人を送る気持ちの方が大切なのだろう。祖母はいつも明るく楽しい人だった。
     葬儀には出席できないので香典を渡す相手を探していると、女性が傍に寄ってきた。
    「悠ちゃん? 悠ちゃんよね! まあーお父さんそっくり!!……忙しいのに、来てくれてありがとうねえ」
     その人は母より少し年上、確か伯父さんの奥さんの……。
    「……ヤスコ伯母さん?」
    「えっ、憶えてくれてるの!? 長いこと会ってないのに、やっぱりお医者さんになる人は記憶力もいいのね!」
    「いえ……。あの、このたびは……」
     父の兄嫁であるヤスコ伯母さんとは、こういうことでも無い限りなかなか会う機会はない。彼女だけでなく祖母以外の父方の親類とは殆ど会っていない。悠の母が会いたがらなかったせいだ。

     祖父は他界しているので伯父が喪主。伯母はその場を取り仕切っていた。彼女はキラキラと輝いた目で悠を見つめる。
    「素敵になったのね。きっとばあちゃんも、悠ちゃんのお父さんも、今の立派な姿を見たら喜ぶと思うわ」
    「……そうであってほしいです」
     悠は頭を下げ、渡すものを渡して早々に伯母から離れた。申し訳ないが、ほとんど交流の無かった親戚と昔を懐かしんでいる暇はない。さっさと焼香を済ませて帰ろう。

     祖母は花に囲まれた一段高い場所で眠っている。伯父がその傍に座っていたので一礼した。
    「おばあちゃんの顔を見てやってくれるかな」
     言われて祖母の横たわる姿を見つめた。

     中学に入るまで、よく家に来て可愛がってくれた優しい祖母。しかし今ここで眠っている人は、そんな記憶の中の人とはかけ離れた姿をしていた。骨が浮き出て痩せこけていた。ふくよかな人だったのに、二回りほど小さくなっていた。たいていの事には反応しなくなっていた悠の心にも、ぐっと込み上げてくるものがあった。

     伯父の隣には次男の嫁である悠の母、栖河基美(すがわもとみ)が座っていた。顔を合わせたのは大学卒業以来になるが、声は掛けなかった。

     伯母に病院へ戻らなければならないことを伝え、早々に失礼して家を出た。すると悠の車の傍で兄が待っていた。どちらかと言うと、待ち構えていたと表現する方が正しい。

     無視はできないので彼の前に立つと、雅一は「83だってさ。特に苦しんだってことはなかったらしい」と教えてくれた。悠が頷いて車に乗り込もうとする所に、兄はまだ帰さないとばかり言葉を続けた。
    「で、仕事はどうなんだ。まだ大変なのか?」
     そんなことないよ、と答えればすぐ帰れたのかもしれない。しかし、のほほんとしてそんな質問をする兄に、少しくらいは嫌味を言ってやりたかった。
    「ああ、変わんないよ。そろそろ俺の葬儀の準備もしといてくれよ」


     卒業した大学の関連病院で地獄のような初期研修(*1)を終えた後、そのままシニア・レジデント(*2)として勤務している。
     朝から夕方まで外来患者の診察を行った後もすることは山ほどあり、深夜まで当たり前のように残業する。今夜はなんとか時間を捻出してここまでやってきた。

    「さっき母さんと話してたんだけど。おまえのこと心配してたよ」
     雅一の言葉を聞いて悠は押し黙った。
     心配? あの人が俺に医者になれと言ったんだぞ。

     母子家庭で金がないのに大学へ進ませてくれるというので、期待に添うように必死で頑張った。受験が終わりさえすれば楽になると思って努力したのだ。しかし、医療の世界はそんなに生易しいものではなかった。

     勤務医(*3)になった今も、楽になるどころか精神的にも経済的にも生きて行くのにギリギリ。そして気が付けばこの冬で29。大学に入ってからの11年間*4、いや中学高校時代を含めて17年間、勉強以外の記憶など皆無。そんな生活を強いたのは母じゃないか。心配なんて、今さらだよ。

     兄は、不機嫌になった弟に言った。
    「亡くなった父さんのために医者になってくれって、母さんうるさかったよなぁ。きっと俺でもおまえでもどっちでもよかったんだろうけど……悪かったと思ってるんだよ。おまえの頭の良さにはついていけなくて、母さんの期待が全部おまえにいっちゃったな」
     褒めたつもりで雅一は笑っているのだろうが悠は笑えなかった。黙り込んでいる弟を前にして、兄はさらに続ける。
    「知ってるか? 父さん、消防士だっただろ? あれはじいちゃんが火事で亡くなったせいなんだよ。だから俺たちには、癌で逝った父さんのために医者になってほしかったんだろう」
    「知ってる」
     死んだ父のためというのはわからなくもないが、会ったこともない祖父との因縁めいた話まで関連付けないでほしい。そんなことのために頑張っているわけではない。
     悠がイライラしているのに、兄は父の話を始めた。
    「父さん、お前とは会えずに逝ったけど……死ぬ前に我が子に会いたかっただろうなって思うんだよ。俺も父親になったから分かるんだけどな。それがどれだけ辛いか……想像つかないよ。父さんが気の毒でたまらない」

     どこまでも人の気持ちを逆なでするようなことを言う奴だ。
    「あの父親が俺にくれたのは、結局この辛い生活だけだ。だいたい、気持ちが分かるって言うけど、あんた、父さんと血がつながってないじゃないか」
     悠が耐えきれずに怒りをぶつけても、雅一は懐かしそうな表情を変えなかった。
    「うん、俺は母さんの連れ子だし確かに血はつながってないけど、父さんには実の子のように優しくしてもらった。今でも一緒に遊んでくれたことを憶えてるよ。4歳とか5歳だったんだけどな。……悠のために病院のベッドで名前を考えてた。そうだ、おまえは父さんに名前をつけてもらったじゃないか」
     パッと顔を明るくする雅一に、悠は半笑いで横を向いた。

     名前をつけてもらっただけで感謝などできるわけがないだろう。男でも女でもいいからと適当に”ユウ”と名付けた人。俺の将来を決定づけてしまった人。そんな人の、どこが優しいんだ。

     悠の不快そのものの表情を見て、雅一は尋ねた。
    「そう言えば、おまえ28だろ。もうすぐ29か。そろそろ母さんに彼女を紹介するとか……」
    「彼女?」
     悠は声を出して笑いそうになった。
    「女と付き合う暇がどこにあるんだよ。睡眠時間すらろくに取れないのに。無神経すぎるだろ」
    「いや、そうか。悪かったよ……」
     雅一は申し訳なさそうに俯いたが、言葉は続けた。
    「ただ、おまえもきっとそういう人がいれば、安らげるんじゃないかと思ってさ……」
    「無理だな。医者をやってるうちは安らぎなんてない。死んだ方が早い」
     医師とは思えない言葉を吐き捨てる悠に、どこまでも善良な兄は言う。
    「そんな悲しいこと言うなよ。おまえは見かけだけじゃなく、優しいところも父さんそっくりなんだ。誰よりも母さんに愛されてる」


     月の光が冷たい空気を伴って、対照的な感情を持つ兄弟を照らしている。
    「確かあれは、俺が小学生で悠が保育所に通ってた、夏だったな……」
     雅一は兄として、悠のネガティブな思考をなんとか変えようと思っていたようだ。
    「俺と母さんが保育所に悠を迎えに行くと、いつも通りおまえは俺と母さんの間に入って手をつないで歩いてた。その時、悠は母さんの顔見て言ったんだよ……」


     兄は、幼い悠が母に言ったという言葉を、初めて口にした。

     しかし、その事に関して悠は表情一つ変えなかった。彼の心に差す影は、そんなことくらいでは消えなかった。
    「そんなことを5歳のガキが言ったとしても、大した意味なんてないだろう。悪いけど時間が無いから帰るよ。伯父さんたちによろしく」
     悠は車に乗り込むと、兄の視線も気にせずに発進させた。






    (注釈)
    *1 初期研修……大学を卒業後、その大学病院などで行う最初の研修。2年間。
    *2 シニア・レジデント……後期研修医の意味(医療現場では研修医とは呼ばない)。初期研修医とは違い、医師として責任ある仕事を任される。たいてい3年間。大学病院または市中病院で行われ、それが医師としてのスタートとなる。
    *3 勤務医……病院や診療所などの医療施設における被雇用者として診療に従事している医師のことで、開業医の対義語。
    *4 11年……ストレートで大学に入り研修を終えるとシニア・レジデントの最終年は11年目になる(大学6年、初期研修2年、後期研修3年)。

    <父のこと> 第2話 医者と患者

     祖母の葬儀から数日経った日の夜のことだった。栖河悠は勤務先の病院から自分の部屋へ帰ろうと駐車場へ向かっていた。

     戻ろうとする部屋は、とてもじゃないが医者が住んでいるとは思えない安っぽいマンションだった。
     きっと世間の人々には想像がつかないだろうが、病院の経営状態によっては、30手前の勤務医なんてその程度の給料だ。どれだけ患者を診ようが関係ない。勤務時間くらいしか給料には反映されない。
     なんでこの病院で働いているのか自分でもよくわからない。あまり肩書に興味がないのと、医局のお偉い先生方にへいこらするより患者に接しているほうがよかったから。そして、この病院が消化器内科の初期研修に指定されていたから、次を探すのが面倒だったからとか……、まあ、そんなところだった。

     普通免許は大学に合格した後の少しの時間で無理して取った。医者を志すなら、今のうちに取っておかないとなかなか取る暇ないよと先輩に勧められたからだ。
     とはいえ、乗るのは自分の楽しみのためではなく、こんなふうに通勤と、あとは自分の担当患者の容体急変のため。外科手術の後の急変だったとしても、患者が蘇生する様子に立ちあえれば、外科医でなくても安堵する。翌日看護師から、昨夜は……と当直医の苦労を聞かされるよりよっぽどいい。もう自分の時間が無いことには慣れっこだった。


     そんな事を想い巡らせながら歩いていた悠の目の前に若い女性が立っていた。
     傍にベビーカーがあるということは子育て中の母親だろう。彼女はぼんやりと病院の入口のドアを見つめていた。

     この時間……夜の11時過ぎに子どもを連れてここにいるということは、彼女自身の病気というより子どもの病気だろう。小児科や新生児科のある病院だからと思って来院したのだとすると、救急ではなかったのか。
     しかしここは小児科の救急は受け入れていない。小児でも外科ならば話は別だが、この母親のボケッとした様子を見れば外科でないことは明らかだ。
     この人はどうしたいのだろう。なぜちゃんと119に電話をするなどして、小児救急病院を探さなかったんだ。というより、本当に救急なのか。どっちにしろ、母親として考えられない行動だ。

     子どものことが気になって女性に近寄ると、突然その人が崩れるようにうずくまった。その場でひざをつき、なんとかベビーカーのハンドルの部分に掴まっている。慌ててその女性の体を支えて尋ねた。
    「大丈夫?」
     俯いているその女性の顔を覗き込むと、目を閉じたまま「はい」と返事をする。
     そうか。返事ができるのなら後回しにさせてもらう。

     悠は女性をそのままにして、ベビーカーの中に目をやった。3、4歳くらいの子どもが窮屈そうに眠っていた。触れてみるとやはり熱がある。悠は女性に向き直ると尋ねた。
    「お母さん、この寒い中どうしてこんなところに子どもを連れて来たの。近所の診療所なら、7時くらいまではやってるでしょう? 間に合わなかったの?」
     言ってからベビーカーの前に回って屈み、あらためてその子どもの様子をみた。

     小さな子どもというのは何かとすぐ熱を出す。高熱が長期間続いたりしなければ、体を冷やして熱を下げて、寝かせておいてやる方がいい。
     この子の状態なら別に医者でなくてもわかるだろうと舌打ちした。
     熱はあるが苦しそうに喘いでいるわけではない。顔色は暗いのでわからないが、リンパが腫れている様子も無いし、咳をするでも無い。熱は38度から39度くらいか。

    「いつからこういう状態?」
     母親は何か言っているがよく聞こえない。仕方がないので彼女の傍に行く。自力で立とうとする母親の腕を引っ張った。
    「お母さん、あなた、こんな状態で外に出てどうするんです。子どもに何かあったらって考えないの? タクシー使うとか誰かに付き添ってもらうとかできないのかな。いや、それ以前に、なんでここに来たのかわからないけど」
    「すみません」
     その人は結局立ちあがるのをやめて座り込んだ。
     悠もその場に腰を落とし、彼女の状態と子どもの状態を尋ねた。聞いた限りでは、母親は睡眠不足と貧血。子どもは嘔吐や意識障害もなく今朝からの発熱というだけの症状だった。
    「一晩様子を見なさい。熱以外の症状や39度以上の熱が続くようなら受診して。ここの小児科外来は午前8時半からです」
     今の状態では、小児科医のように母親の心のケアまでは考えていられない。
    「旦那さんか誰かに電話……」
    「無理です」
     きっぱり言う彼女にまた舌打ちした。結構元気そうだ。
    「じゃあ少し待ってなさい。タクシー乗り場がそこにあるから、こっちに車を回してもらう」
     悠が立ち上がろうとすると、母親に手を掴まれた。
    「いいです。バスで帰ります」

     深いため息をついた。途中で倒れたらどうするんだ。いくらなんでも、このままバスで帰れるわけないだろうが。

    「……家はどこ……?」


     その母子の住まいは悠のマンションと同じ方角にあるらしい。送ってやるしか仕方がない状況だった。

     後部座席にベビーカーを載せているので、母親は子どもを抱えて助手席に座っていた。
     熱を下げるためにすることくらい知ってますよね、と運転しながら確認した。母親は「はい」と答えたが、その時悠に自分と子どもの境遇を話し出した。

     結婚をしておらず子どもには父親がいないこと、両親は遠くに住んでいて仲が悪く疎遠であること、仕事をしているが子どもが小さいために保育所から呼び出され早退することが多い結果、理解が得られないまま退職に至ること。

     悠はただ聞いていた。
     そんなことを話されても困る。すべて言い訳にしか聞こえない。ひとりで子育てしていればそうなることは目に見えているのに、環境が辛いとグチるなんてどうかしている。無知で状況判断もできていないし母親失格だ。こういう自分の状況に振り回されて子どものことをおざなりにする親がいるから、多くの医師は余計な苦労を強いられるんだ。



     悠は子どもが好きだった。
     小児科の友人によく話を聞く。母親の不注意で病変に気付かずに亡くなってしまう子がいる。もっと早くに気付いていれば、有効な治療ができたかもしれないのに。
     亡くならないまでも、早く連れて来てくれてさえいれば、子どもに負担をかけずに治療できていたケースがいくつもあるとも言っていた。残念でたまらないと。

     悠も、たくさんの人の苦しむ姿と、その後様々な形で病院を去る姿を見て来た。救いたいと思えば思うほど苦しくなって、その反動で心が硬く防壁を張りめぐらせる。感情も思考も何もかも閉じ込める。
     悠はこの程度の対処すらできず病院へ駆け込む、多くの母親を軽蔑していた。



     母子をアパートへ送ったはいいが心許こころもとない状況だった。
     母親はありがとうございましたと言った後にまた座り込んだ。重い貧血なら診てもらわなければならない。
    「あなたきちんと食事してるんですか」

     玄関で子どもを抱きかかえたまま、悠は困っていた。
     近所の人に声をかけてみようと外に出てブザーを押してみたが、どの部屋の人も出てこなかった。
     留守か、居留守かわからない。深夜だからしょうがないといえばしょうがないが、こんな感じでは今後の事をお願いしようとしても、力になってくれる可能性は低い。

     多少重くても子どもを抱いているのは苦痛ではないが、子どもの方が辛そうだ。
     悠は、まだ蹲うずくまっている母親に声を掛けた。
    「部屋に上がらせてもらいますよ」

     子どもを布団に寝かせてから、母親の目線の先に座った。俯く母親の顔を持ち上げて電灯の下で顔色を見た。
    「明日、あなたも診察を受けなさい。子どもを守るのはあなたの役目なんだから。うちには来ずに近所の内科で診てもらったほうがいい。待ち時間が少ないし、かかりつけの診療所の方がこの先……」
     悠はまだ話している途中だったのに、急に母親の意識が遠のいたのか彼に寄りかかってきた。しっかりしろよと彼が思った直後、彼女は声を上げて泣き出した。
    「ごめんね、りょうた……。お母さん、こんなで、ごめんね……」

     悠は、母親がどれほど追い詰められていたか、その時になって初めて知った。



     悠の父は30歳の時、胃癌で亡くなった。
     胃癌は中高年に多い病気だ。だから父のように若かった場合、本人が癌だなんて思わず、不調を我慢しているうちに手遅れ、なんてこともめずらしくない。若い人のがん(*1)の進行はとても早い。

     ただその胃癌を見つけることのできる消化器内科で、自分が治療に携たずさわっているのは、父を想ってではない。
     兄の雅一のように、長く生きられなかった父に同情して……なんていう気持ちは持てない。

     それはきっと、父がいつまでも母や祖母の心に居座っていたことに起因している。

     雅一は気付いていない。
     悠自身が愛されていたわけではないのだ。
     雅一も含めて周囲の人はみな、悠の中に父の姿を投影していただけ。そんな報われない気持ちで選んだ道の中で、父を想えるはずがない。

     しかし、最終的に消化器内科を選んでいた。他科を選ぶ事もできたのに。
     家族への期待と失望の中で、足掻いている自分に気付く。


     自分の中に流れる父の血など余計なものだったのに、なぜか目の前で泣きじゃくる生島亜実(いくしまあみ)の姿に、見知らぬ父のことを思い描いた。

     父は、悠にどんな感情を持っていたんだろう。
     親とは、こんなふうに泣くものなのか。
     子どものために、辛くても生きようと思うものなのか。
     それなら、生きられないと知った時、父は一体どんな気持ちだったんだろう。



     亜実という女性の態度が、悠の父の強い想いを想起させた。
     死ぬ前に息子に抱いていたであろう想い。
     そして、同時に母の苦労を思い出させてくれた。
     大人になっても卑屈なままの自分に、愛情とはこういうものだと、押しつけがましいほどに教えてくれた。

     親が苦しみながらも生きてゆこうとする理由。壊れかけているのに必死で進もうとする強さ。それらを見せつけられた。


     悠は大人であり医師であるが、その前に父の子である。いつまでも。
     自分はもしかすると、無意識のうちに父から愛されていた事実を探そうとしていたのではないか。
     兄だけが愛されていたような気がして、寂しかったのではないか。
     父に近づこうとして、自ら医者を目指していたのではないのか。

     家族にも父にも自分にも向き合えずにいた自分は、本当に今、医者だと言えるのか。


     医者は患者と向き合わねば使命を果たせない。
     相手は”患者”という生き物ではなく、苦しんでいる”人”なのだ。気持ちを知ろうとしなければ治すことはできない。

     悠は、
     自分に欠けていたもの気付いて、ようやく本物の医者(*2)になれそうな気がした。




    *1 ”癌”と”がん”の違い……”癌”とは体の上皮(体の外部、および、子宮・肺・消化器などの、臓器や器官などを覆う表面組織)にできる悪性腫瘍。
     ”がん”は上皮以外(白血病や悪性リンパ腫などの「血液のがん」、および骨や筋肉などに発生する「肉腫」や、脳にできる「脳腫瘍」など)にできるものも含めて、すべての悪性腫瘍の総称。

    *2 「医師」と「医者」の違い……医師とは所定の資格を持ち、病気の診療や治療を業とする者。医者。
    医者とは病気の診療や治療を業とする者。医師。
    「医師」というのは正式な資格の名称だが、「医者」という言葉の中に「医師」という言葉が存在する関係があると言っても過言ではない(らしい)。明確な根拠はないが、「医師」という言葉は医療を行うことにプライドがあるような意味合いに受け取られ、「医者」という言葉はどちらかといえば温かみのある言葉に受け取られることが多い。

    <僕のこと> 第3話 変わってゆく世界

     生島亜実の息子は涼太(りょうた)といった。
     翌日の夜、普段よりずっと早く9時頃に帰ることができた悠が彼らの様子を見に来ると、涼太は元気に部屋を走り回っていた。
     もうすぐ4歳になるという涼太は、活発でよく笑う、とてもかわいらしい子だった。

     悠は病院に勤めているのだから当たり前と言えば当たり前だが、元気のない子どもに接する機会が多い。なので、この涼太を見て幼児の持つ回復力に圧倒された。

     小児科や産科(*1)を選んで医師になろうとした友人たちは、どの科よりも過酷な状況の中に身を置いている。
     彼らがそんな状況でも頑張り続けられる気持ちが少しだけわかった気がした。


    「熱が下がってよかったな。でももう遅いから早く寝なさい」
     悠が頭を撫でると、涼太は笑顔を見せた。
     亜実は「昨日はありがとうございました」と頭をさげた。悠は、涼太だけでなく、この人のことも気になっていた。
    「生島さんはちゃんと診てもらいましたか?」
     悠が訊くと、亜実は「はい! 元気になりました!」と明るい声を出す。昨日、悠が帰るのをためらうほどに泣きじゃくっていた人とは思えない。
    「あのう……もしよろしければ、上がってください」
     玄関先で立ったままの悠に、亜実が遠慮がちに言った。
    「いえ、私はここで……」
    「あ、お忙しいですよね」
    「……そう……ですね」
    「お名前、伺ってもいいですか?」
     そう言われ戸惑った。名乗る必要はあるのか。しかし考えてみれば、悠は亜実の住所も名前も知っているのに、彼女は何も知らないというのもどうかと思い、躊躇しながらも黙っていた。
     すると亜実はまた、おずおずとした口調で尋ねた。
    「お医者様……ですよね?」
    「ええ、まあ……」

     悠は自己否定の状況にあった。
     自分はサマをつけられるほど偉くない。ほかの医師は偉いかもしれないが、自分は違う。今までただ、むりやり知識を頭に詰め込んで、あの病院という場所で患者の生活に指示を出すだけのロボットだった。
     人の生死に揺さぶられるものはあるにしても、普段は自己管理のできない患者を蔑み、淡々と診察をこなしていたのだから。

     そんな自分を顧みると恥ずかしくなって思わず俯いた。今までの態度が、医者としてはあまりに未熟だと気付いた後だったからだ。
     しかし亜実は、そんな悠を見て小首を傾げ微笑んでいた。
    「こんなに優しいお医者様もいるんですね」
     悠は視線だけを彼女に向けた。
     ありえない言葉だ。優しいなんて言ってくれるのは、勘違いした兄くらいなもの。俺は医者として、いや人間としても半人前。生まれてからずっと色んなことを両親のせいにしてきた情けない奴。

    「医者は優しいというより強くないとだめなんですよ」
     自分に言い聞かせる。
     患者に対して、決断も、見守ることも、きちんと説明することも、叱ることも……母親と同じように強くなければならない。

    「大変ですね」
    「生島さんも同じでしょう?」
     そう言うと彼女は嬉しそうに笑った。
    「私なんて全然です。すぐ弱音吐くし、泣くし、母親として半人前だから。でも、半人前だからがんばろうって思うんですよー」

     笑顔でサラッと言えるなんて、それこそが、強い証拠だよ。

     悠は彼女の明るさに見惚れていた。
     この人はきっと自分を取り繕ったりしないんだろうな。きちんと肯定した上で足りない部分を補おうとしている。
    「先生、お名前と、どこの科にいらっしゃるのか教えてください! 涼太と遊びに行きます!」
    「病院は遊びに来るところじゃないですよ……」
     悠は苦笑したが、途切れさせてしまうには惜しい縁だと思っていた。



     半人前同士が仲良くなるのに、時間はかからなかった。二人合わせてやっと一人前。だからこそ、離れられないような気がした。

     悠はどれだけ忙しく先の読めない不規則な生活であっても、亜実と涼太に一目会うだけで癒された。
     もともと子ども好きな彼だったが、涼太を前にして、その気持ちはさらに高まっていた。
     こんなに愛おしいものはほかにないと思えた。それはそのまま、亜実に対する感情とつながっていた。
     学歴が、肩書きが、出世が、すべてだと言う人もいるだろうが、自分の幸せはそこには無いのだと改めて思う。


     ひと月ほど経ったある日、雅一からメールが来た。それに気付いたのは午前0時、帰宅したばかりだった。
    ≪明日、時間とれないか? 俺は休みで暇だから病院の近くで待ってるよ。時間できそうなら会いたいんだ≫
     時間を考えて、とりあえずメールで返す。
    <何かあった?>

     突然会いたいと言われると戸惑う。葬儀で会ったばかりなのに、どうしたんだろう。それまで数年会っていない期間があったのに。
     すぐに兄から電話がかかってきた。
    『通夜で悠の痩せた姿見て、母さんがかなり心配してた。大丈夫か確かめて来いって言われたよ。……多分、父さんのことがあるから怖いんじゃないか? たまには母さんに電話くらいしてやれよ』
     母は自分の夫の血を引く悠が、同じ病魔に侵されて逝ってしまうのではないかと恐れているのか。
     医者に対してありえない心配だが、兄の言葉はもっともだった。離れて暮らしているんだから電話くらいはしてやるべきだった。

     もう、母や兄に対するわだかまりは消えている。それは、亜実や涼太のおかげで己に向き合うことができたせいでもある。

    「わかった。電話するよ。それから、兄さんが明日もし来てくれるなら会ってほしい人がいるんだけど」
    『え?? 誰?』
     雅一が驚くのも無理はない。兄に二人を紹介しようとしている、当の本人が一番驚いていた。
    「そんなの、……だいたいわかるだろ」



     翌日の夕方、もらいそこねた昼休憩を理由に30分ほど職場を離れることができた。近くの図書館で時間を潰していた亜実と涼太に急いで電話をする。
     病院にやってきた二人を、悠は入口で待っていた。
     ロビーで少しの時間会うだけの予定だったので、亜実は不思議そうな顔をしている。
     悠はすぐに涼太を抱き上げると、ほとんど走っているといっていいくらいの速さで歩き出した。
    「待って、悠くん、どこに行くのっ!」
     病院の真向いにそびえたつホテルに入って行く悠に必死で付いてきた亜実は、完全に困惑していた。

     会う時にはいつも涼太が一緒なので、いつも涼太が喜ぶ場所を選びがちだった。
     なので亜実はこんな高級感漂う空間に連れて来られるとは想定していなかったのだ。
    「兄さんが来てるから会ってもらおうと思ってさ」
    「ええっ!」
     亜実が思わず大きな声を出すと、そこにいた人々が一斉に悠たちを見た。
    「しー」
     悠に笑顔で窘たしなめられた亜実だが、
    「そんなの、聞いてないし! うっそ、しんじらんないー!」
    と、小声で悠に反発した。
     悠は思わず笑みをこぼした。
     さすがにまだ23歳。普段は隠そうとしているが、子供のような反応だ。
    「そうそう、その調子で。普通に喋っていい相手だから」
     それでも亜実は不満そうに悠を睨んでいた。

     一階のカフェレストランでは、雅一がコーヒーを飲みながら待っていた。
     彼は悠が連れて来た亜実と涼太を見て、思わず立ち上がり目を丸くした。
    「お、おまえ、……まさかそういうこと!? こ、子供が……」
    「いやいや、何を想像してんだろうな。違うよ、まだ付き合ってひと月くらいだから」
     亜実が横目でチラと悠を見てから、涼太と一緒にペコリとお辞儀をした。

     あまりに唐突な紹介だったので亜実を不機嫌にさせてしまった感は否めないなと悠は思った。
     雅一はというと嬉しそうな笑顔を浮かべ、同じように二人に向かって頭を下げた。
    「会わせたいっていうから、そうじゃないかなぁとは思ってたけど、美人すぎてびっくりだなー」


     話をしているうちに、亜実もその雅一の優しい性格に安心したのか、笑みを見せるようになった。そして雅一も、ずっと悠のひざの上に座って彼に甘えている涼太の様子に、ほんわかと温かい気持ちを抱いたようだった。
    「いいね、この景色。まるで昔の俺を見てるみたいだな」
     雅一はそう言って亜実を見て笑った。
    「うちの母さんは俺を連れて父さんと結婚したんだよ。俺もこんな風に父さんに甘えてさ……幸せだったよ」

     亜実は雅一に向けていた視線を、悠の顔へと移動させた。
     その、もの言いたげな表情を見て悠は苦笑した。
     確かに兄は気が早すぎる。でも、付き合っている人を会せたりしたらそう思うかな。しょうがないだろう、会わせたかったんだ。
     付き合ってひと月と言っても、まだ数えるほどしか会えていない。それも本当にわずかな時間だけ。それでも、誰かに自慢したかったんだ。



    「今日の帰りは何時頃?」
     亜実はホテルから病院に向かう時、悠に尋ねた。
    「今日は当直なんだ。だから明日の夜だな」
    「そっか」

     亜実と悠との間にはいつも涼太がいた。三人で手をつないで歩く姿は、傍からは仲睦まじい家族に見えるのかもしれない。
     でも、と亜実は思う。
     悠を独り占めする涼太が少し恨めしい。
     彼に甘えることができるその場所を、たまには母に譲ってくれてもよくない?







    *1 小児科・産科……小児科は幼い子どもの口からは正確な病状を聞き取りにくく、またモンスターな親の存在もあり、医師になろうという絶対数が少ない。そのためさらに人手不足、激務、という悪循環のため不人気。
     産科の場合、出産は病気ではないので安全に生まれて当然と思われている状況がプレッシャーとなり、やはり人手不足になり敬遠される。なお、どちらの科も(一概には言えないが)女医の占める割合が他科より大きく、育児などのために長時間の勤務が難しくなると、上司や研修医などに負担がかかる。

    <僕のこと> 第4話 その兆候

     亜実は病院で悠と別れ、涼太と二人で帰路に就いた。
     途中、涼太にせがまれて、ショッピングセンターの中の子どもの遊び場に寄った。コインで動く乗り物に喜ぶ涼太を見ながら、ふとその遊び場の向こうに占いの館があるのを見つけた。
     昔から占いが大好きで、占い師を見つけるたび将来や恋愛運をみてもらっていた亜実は、当然のように涼太を連れてその館に入っていった。その行動に特に意味などなかった。

     手相見の年配の男性が、亜実の手を掴んですぐに言った。
    「いいですね。あなたは健康で長寿。近々二人目のお子さんにも恵まれ、旦那さんも喜ぶでしょう」
    「……まだ、結婚は……してないんですけど」
     涼太がいるから既婚者だと占い師は思ったんだな、と亜実は思った。
    「そうですか」
    「結婚……できるんでしょうか」
     しかし、占い師の返答はおかしなものだった。
    「しない方がいいんじゃないですかね」
     当然のように言う。

     意味不明なんだけど、と亜実が不審に思っていると、その占い師は無表情のまま淡々と告げた。

    「あなたの旦那さんになる人は短命ですから。結婚すれば、あっという間に亡くなりますからね」




     亜実は帰宅してからも、憤慨し、激怒していた。
     そんな失礼なことを言う占い師には今まで会ったことが無い。そんなふうに人の気分を悪くさせてお金を取るなんて許せないと亜実は思った。
     絶対に信じるもんか。占いなんて良いことだけを信じていればいいと誰かが言っていた。



     ハンドルを握ったまま、駐車場から出られない。

     悠は車のエンジンをかけて暖房を入れたものの、発進するのが怖かった。
     連日深夜までの勤務が続いていた。
     その上最近、深い眠りを得ることができない。休みも誰かの穴埋めで潰される。
     昨日から働き続けて、夜は当直で、今日も普通に深夜まで。しかし医者の当直は単に起きているだけでいいようなものではない。動き続け、書類を作成し、ミスを犯さぬように張りつめたまま。
     救急患者の搬送もあった。救急のほかに、自分の担当患者か否かなど関係なく診るため、仮眠する暇がなかった。
     神経が磨り減る。
     やっと帰ることができるというのにどっと疲れが出て半ば放心状態。このまま運転して大丈夫か。

     悠はため息をつくと暖房を消した。頭がぼうっとする。
     寒いくらいでなければ、意識が飛んでしまいそうだ。




     悠はその翌日、午後診が終わって書類作成を始めた時、ふと母のことを思い出した。
     帰宅する時間が遅すぎて電話ができなかったが、今なら少しくらい席を外しても差し支えないだろう。
     窓際に立ち、母の携帯に電話してみた。
     すると母は、どこか具合でも悪いのかと思うほど抑揚のない声で電話にでた。
    「この前何も話さなかったけど、母さんは元気にしてるの?」
    『そうねえ。……元気と言えば元気だけど……』
     溜息をついているのが分かった。
     ただ、それは、今まで悠が親不孝してきたせいだと思っていた。
    「具合が悪くなったら寝込む前に言えよ? 近くに良い医者がいないか、探してみるからさ」
     悠は努めて明るく言ってみたが、母はあまり反応せず全く違う話を始めた。
    『あなた、お子さんのいる女性と付き合ってるんですって?』
    「え?……うん。……兄さんから聞いた? そのことで……」
    『やめなさい』
     母は、まだ悠が話している途中で言い放つ。
    「え? なに……?」

    『あなたを医者にしたは間違いだったわ。その人とも別れてちょうだい』

     不可解な発言に驚き呆れ、逆に笑ってしまった。
    「どうしたの母さん。何で突然そんなことを言い出すんだよ」
    『医者を辞めなさいって言ってるの。それが無理なら、せめて今付き合ってる人とは別れて。その人と結婚を考えないとは言い切れないでしょう?』
     確かに結婚しないなんて断言できない。むしろその方向に持っていきたいと思っている。
     意味がわからないのは、それだけではない。今、母はなんて言った? 医者を辞めろ? あんなに苦労して今に至るのに。こんなに苦労して医者であろうと努力しているのに。信じられない。

    「だからさ……なんでそんなことを言うのかな……。医者やめろだの結婚云々だの、おかしいよ。母さんまだ亜実に会ってないし……」
     あの人の良い兄が彼女のことを悪く伝えるとは思えない。母の態度が全く理解できなかった。
     母は黙り込んだかと思うと、次の瞬間、電話口で大きな声を出した。それはまるで何かの発作のようだった。

    『お願いだから母さんの言うことをきいて。……子どものいる人とは付き合わないでちょうだい! ねえ、悠、お願いよ……』
    「母さん……」
     悠は、理由を言わずに懇願する母の様子にうろたえていた。



     そんな理解しがたい母との電話のやりとりから、半月ほど経ったころだった。
     亜実とは深夜に電話するくらいしかできない日が続いていた。

     悠が勤める病院は慢性的に人手不足でほぼ毎日残業が続いた。
     しかも悠が頑張れば頑張るほど任される仕事が増え、どんどん忙しくなってゆく。帰宅時間も0時を回ることが多く、精神的な余裕もない。遠い場所に住んでいるわけでもない亜実とまともに会えないのはそういう理由からだった。

     それでもようやく久しぶりの休みをもらい、病院からの呼び出しさえなければ三人でゆっくりと過ごせそうな日曜、亜実に電話してみると思わぬ返事が返って来た。
    『あのね……もう会わないほうがいいのかなって……』
     驚いて、どうしてかと問い詰めたが亜実は黙り込んで何も言わなかった。
    「会える時間が少ないから怒ってる?」
     彼女はやはり無言だった。
    「せっかくの休みなんだよ。会えないなら理由を言ってくれよ。……俺の都合ばっかりで申し訳ないとは思ってるけどさ……」
     貴重な時間を拒否するということは、やはり嫌われたか。それともほかに好きな男ができたのか。
     二人の間に沈黙が流れた。

    「別れたいっていう意味?」
     悲痛な思いでそんな言葉を口にしたが、亜実は黙ったままだった。しかしすぐにしゃっくりのような息遣いが電話越しに聞こえてきた。
    「え……泣いてる?」
     彼女は何も言わない。しかし、もうはっきりと嗚咽が聞える。悠は居ても立ってもいられなくなって電話を切った。
     悠は、車で30分という距離でさえもどかしくて苛立った。なんで亜実は泣くんだ。泣きたいのはこっちなんだ。

     渋滞は無いが狭い道路ばかりで、飛び出す人がいないか気になり思うようにスピードを出せない。日曜なので子どもが不意に出てくる可能性もある。
     40分かけてようやく亜実の部屋にたどり着きドアを開けると、彼女は布団の上で膝を抱えて俯いていた。
     悠がやって来たのに気付き、亜実は驚いた顔で彼を見上げた。その目は真っ赤で、頬には幾筋もの涙の跡が残っていた。

     亜実はまたすぐに俯いて小さくなった。悠はその前に座り、彼女の視線を自分に向けさせるために手で顎をすくい上げた。
    「泣く理由を教えてくれよ。別れたくて泣いてるのか、別れたくなくて泣いてるのか」
     傍に立つ涼太は、泣いている母と彼女を問い詰める悠を目の前にして、不安そうに立っていた。
     亜実は悠の目を見つめて、また涙をあふれさせる。そして苦悩をにじませた表情で彼に言った。
    「さっき、悠くんのお母さんだって言う人が来たよ」

     言われて悠は、思わず亜実の顔から手を離した。そして、亜実は堰を切ったように言葉を続けた。
    「……私のこと調べてここに来たんだって。悠くんのために別れてほしいって……玄関で額をすりつけてお願いされたの……。どうしてかなんて、訊けなかったよ……」



     半月前に聞いた、しっかり者の母とは思えぬ、ひどく取り乱した電話の声を思い出した。
     どうしてあんなことを言ったのか、ちゃんと訊いておけばよかった。どこかで調べてまで亜実のことを見つけ出し、別れてくれと言いにくるなんて普通じゃない。

    「ごめん。……ごめんな」
     悠は項垂れて謝った。
    「気にしないでっていっても無理だろうけど、あの人のことは俺が説得する。だからさ……もう、俺から離れるなんて言わないでほしいんだ」
     悠がそう言っても、亜実は悲しそうに眉を寄せるだけだった。
    「……一緒にいたいけど……。でも、必死で悠くんを育てたお母さんの気持ちもわかるから……。息子にはもっと素敵な女性が似合うって思うのは……当たり前だよね……」
     悠はふと手を伸ばし、隣に黙って立つ涼太を引き寄せて抱きしめた。
    「な、亜実、俺はできれば毎日二人に会いたい」
     どういえばわかってもらえるか、そんなことを考える余裕もなく、思い浮かぶ言葉が口から飛びだす。
    「でも今のままじゃまともに会えない。……な、俺、頑張るから。……まだ満足な暮らしはできないかもしれないけど……一緒に暮らさないか?……」
     亜実は目を閉じて首を横に振る。
    「これ以上頑張るの? だめだよ、死んじゃう」
    「俺は、亜実と涼太さえいてくれれば幸せなんだよ。いつ死んでもいいくらい」

    「なんでそんなこと言うの!!」
     亜実はまたわんわんと泣き出した。
    「困ったな……泣くなよ……。泣かなくていいんだよ」
     悠は亜実の頭を撫でて苦笑した。

    <僕のこと> 第5話 出逢った意味

     基本給二十八万円、時間外・当直手当含めて三十六万円。手取りは……。
    「いいよ、もう……」
     亜実は神妙な顔をして沈んだ声を出した。
    「やっぱり足りない?」
     そんな彼女を見て、悠も表情を暗くする。二人は対面に座って、お互いの顔を見つめている。
    「悠くん、おかしいよ」
     亜実はため息をついて俯き、目だけで悠を見上げていた。
    「仕事が忙しいのは仕方ないけど、給料を上げるためにもっと働くつもりなの? 私がそんな贅沢を望んでると思ってるの?」
     言われて悠は考えていたが、ボソリと呟く。
    「でも、贅沢っていうか……車の維持費もあるし、こんな狭い部屋で三人はきついし、もう少し広い部屋に引っ越すとして、家賃も上がるから……」
    「だからね!」
     亜実はだめな子を叱るように言い放つ。
    「一緒にいたいって、そう言ってくれたよね!」
    「うん……」
    「私だって働いてるし! お金なんてどうにでもなるの!!」
    「た……頼もしいというか、たくましいというか……」
     悠は圧倒されて、部屋の隅で遊ぶ涼太に助けを求めた。悠に抱きしめられて、涼太はくすぐったそうに笑う。
    「な、涼太、お母さん怖いよなー」
     亜実は、顔を真っ赤にして悠を睨んだ。


     一緒に住むと決めた日から一週間が経ち、とりあえずということで、今日、亜実と涼太は悠のマンションに引っ越してきた。
     引っ越すと言っても身の回りの必需品を車で運んだだけで、三人での新しい引っ越し先が見つかれば二人の荷物をあらためてまとめる予定だった。

     涼太といちゃいちゃする悠を目の前にして、亜実はイライラしていた。ほぼ嫉妬に近かった。
     たとえ日曜でも、悠の場合、2週連続で休みがもらえるなんて珍しい。来週も休めるなんて限らないのに、どうしてずっと涼太とばかり遊んでいるんだろう。
     ありえない。
     悠は涼太さえいればよかったの!?



     夜9時。涼太は悠と一緒に風呂に入った後パジャマを着たまではいいが、元気一杯で寝る気配はない。
    「涼太、そろそろ寝ないとなー」
     悠はどこまで涼太を甘やかすのか。亜実は、涼太を見ている彼の楽しそうな横顔に、複雑な気持ちになった。
     亜実の大切な涼太を愛してくれるのは本当に嬉しかった。ただ愛情が溢れすぎて飽和状態。少しは私のために取っておいてくれてもいいのに。
    「そろそろ寝てほしいなー」
     悠が笑顔で涼太に言った。

     なんだかんだで涼太が眠ったのは10時。しかし、悠もその隣で全く動かずに眠り込んでいた。呼吸しているかどうか心配になるほどだった。
     寄り添って寝ている姿は、実の親子以上に仲がいいんじゃないかと思えた。亜実は微笑ましいと思いながらも、落ち込んでいる自分を否定できない。今日という一日、二人きりの時間は持てなかった……。
     だからと言って、彼が疲れているのは目に見えてわかるから起こすわけにはいかない。一緒の空間にいるだけで……それだけで幸せだと思わなければ。
     部屋が狭いので、彼女も悠の隣で寝ていた。寝かかった時、頬に温かさを感じ、目を開いた。悠が半身を起こして掌で彼女の頬に触れていた。
    「俺は、涼太の父親にはなれない?」
     彼は亜実を見下ろして静かに尋ねた。



     結婚……。
     亜実は悠の気持ちが嬉しい反面、彼の母の姿が忘れられなかった。
     本当に結婚していいのかな。私は悠の睡眠時間を削ってしまっている気がする。
     この悠の痩せた体を見るたび、不安が募ってゆく。過労死なんてことにならないだろうか。



     そして半年経った。最近、悠の帰宅がどんどん遅くなっている気がした。仕事だから仕方がないとは思うが、彼の体が心配だし、まともに話す時間も無いのは寂しい。涼太が眠った後は静かすぎる。
     それなのに亜実は、起きて悠を待っていられない。彼女もまた疲れているのか、やたらと眠い。

     朝6時。悠がキッチンに立って自分の分の食事を作っていた。気付いて起きてきた亜実に、悠は「寝てていいから」と笑う。
     きっと笑う余裕なんて無いはずなのに、そんな顔をされると苦しくなる。
    「昨日は何時に帰って来たの?」
    「三時……くらい? かな」
    「じゃあ三時間しか寝て無いの?」
    「まあね」
     悠はまた、ふふっと笑った。

     違う、と亜実は思った。
     きっと三時間も寝て無いんだ。

    「いちいち気にしなくていいよ。所詮病院だって利益の上に成り立っているんだから、例え医師余剰時代だって言っても、病院としてはそうそう増やせないんだよ。まあ、若い内は寝なくても大丈夫ってやつね」
     彼は平気な顔で「亜実の分も作ってやろうか?」とまで言う。
     亜実が溜息をついていると、悠は彼女の顔をじっと見ていた。
    「亜実、大丈夫?」
     それはこっちのセリフだ、と亜実は思った。
    「顔が疲れてるよ」
     それもこっちのセリフ。
    「亜実は好き嫌いが多いから貧血になりやすいんだよ。魚も野菜も肉もバランスよく食えよ?」
    「うん……。でも、私のことより、悠の睡眠時間の方が問題だよ。1月で30歳でしょ?」
    「……嫌なこと言うなあ」
     悠は苦い顔をしていた。

     亜実が悠と会ったのは去年の11月。その時彼は28歳だったが、1月が来て29になり、来年の1月には30歳。今は6月下旬だし、あと7カ月弱。涼太もその頃には5歳になっている。

    「なあ、ほんとに……」
     悠が食事の手を止めて、亜実の顔をまじまじと見つめる。
    「顔色悪いんだけど」
    「そうかな」
     でも医者が言うんだから間違いないのかもしれない。
    「俺、期待していいのかな」
    「え?」
     悠は嬉しそうな笑みを浮かべていた。
    「な、診てもらえよ。……それとも薬局で買って来て検査する?」





     悠が亜実に尋ねた。
    「墓参りにいけそう?」
     亜実はこくりと頷いた。

     相変わらず帰りの遅い悠だが、極力傍にいてくれた。
     悠は真夏だと言うのにエアコンの温度をなかなか下げてくれない。隣で寝ていると、きっと悠は暑いに違いないのに。
    「大丈夫。最近、気分がいいし」
    「そっか、よかった。やっぱり父さんに報告しないとな」
     悠は幸せそうな顔をしていた。そして彼は亜実のまだ全く膨らんでいないお腹に触れた。
    「男の子かなあ。女の子かなあ……」
     呟く悠の傍で、亜実が言った。
    「もう少ししたら、飯田先生に教えてもらおっかな?」

     飯田というのは亜実が通っている産婦人科の医師で、彼らの住まいから一番近い場所で開業していた。
    「だめだめ、あの先生はそういうの嫌いらしいよ。命が授かっただけでありがたいと思え!的なね。名医だけど、ちょっと変人だからね」
     悠はそう言って頭かぶりを振った。

    「そう? 優しくていい先生だけどなー。……でもさあ、出生届は生まれて2週間以内なんだよね。男の子か女の子か判らないなら、名前は両方考えとかないといけないね」
     亜実が言うと、悠はいいことを思いついたように目を輝かせた。
    「男でも女でもどっちが生まれて来てもいい名前にすればいいんだよ。早めに決めたら、ずーっとお腹の子に、名前を呼んでやれるしさ」

     そう言う悠に、亜実はふふっと笑った。
    「それって、悠くんの時と一緒だね」

     悠は言われて、驚いたように瞬きした。
      「あ、そうだな」

     それから、とても落ち着いた笑みを浮かべて言った。
    「父さんも、こんな気持ちだったのかな……」
    「そうだよ。適当につけたわけじゃないと思うよ」
     亜実が言うと、悠は瞳を伏せた。


    「俺、歩(あゆみ)がいいな。……亜実と似てるし。呼び間違えたりして。目に浮かぶなぁ」
    「妄想してるー」
     二人は笑いながら、その時を待っていた。

    <僕のこと> 第6話 連鎖

    「今日、籍を入れたい」
     墓参りに行くつもりだった日曜の朝、悠が言った。
     驚いて「でも」と言いかける亜実に、彼は反論は許さないとばかりに目を閉じて顔を横に振る。涼太がごくごくと牛乳を飲んでいる姿が、亜実の目の端に映る。
    「おかあさん、悠くんにおこられてるの?」
     口の周りを白くさせて涼太が尋ねる。その涼太の可愛らしい姿にも、今朝の悠は反応しなかった。テーブルの上の朝食が冷めてゆく。
    「このままじゃ俺も困るし涼太も歩も困る。なんでそんなに拒むのかな。俺と結婚するのは、そんなに嫌? 給料が足りない? それとも休みのこと? それならもっと待遇の良い別の病院に……」
    「違うよ!……そんなんじゃなくて……いつかは結婚したいと思ってるけど……」
     尻すぼみになってゆく亜実を見ながら、悠は口を一文字に結ぶ。
    「いつか、って何……。時間が解決するような問題なのか?」

     3月の出産予定日まであと7カ月。それまでに溝が埋まるのか、不安なだけで……。

    「母さんか?」
     言われて亜実は思わず視線を落とした。しかしそんな彼女の様子を気にするでもなく、悠は言う。
    「俺は結婚のことで母さんに口出しはさせない」
    「そんなの……」
     結婚した後だって関係は続くのに、強行突破なんて無茶だ、と亜実は思った。
    「理由はそれだけ? 亜実のご両親に反対されてるとか……」
    「違う違う。この前、三人で撮った写真送ったらすごく喜んでた。はやく結婚しろって……。私、両親のこと誤解してたかもしれない……」
    「じゃあ、何の問題も無いな。結婚しよう。何回プロポーズさせれば気が済むんだ」
     怒りながらプロポーズされるなんて聞いたことが無い。
     亜実はため息をついた。

     悠の母のこと以外にも気がかりなことがある。
     それを言おうかどうしようか迷った。でも、占いが……なんて言ったら、きっと悠は怒るだろう。真剣に話をしているのに、そんなくだらないことを理由にするな……と。

     悠は立ち上がり、鞄を持ってくると手を入れて探っていた。そして亜実の目の前に紙を置いた。
     いつそんな時間があったのか、誰かに頼んだのか、それは婚姻届だった。すでに彼の所は全て記入されていた。
    「これ、土日も関係なく受け付けてくれるんだろ?」
     いつもとは違う彼の頑かたくなな態度からすると、もう引き延ばすことは無理なようだった。

     確かに悠の立場を考えると、妊娠しているのに結婚しないなんて世間体が……と思っているのかもしれない。だから自分の病院の産婦人科では受診させないんだろうな。
     悠の職場にいるだろう頭の固いお偉い人は、そういう状態のカップルがいたら、男性が女性にそういう状態を強いていると思うだろう。結婚するのかしないのか、ちゃんとけじめをつけなさいと叱られているかもしれない。
     それは……悠に申し訳ない。

    「わかった。……ごめんね」
     亜実が言うと、悠は悲しそうな顔をした。
    「……なんだよ……。……渋々か?」
    「そんなことないよ。嬉しいよ」
     亜実は悠の言葉を否定した。嬉しい、それは嘘ではない。
    「それなら、今すぐご両親に報告して」
     悠に言われ亜実は頷いた。
    「悠くんは?」
     彼は亜実から一度視線を外してから、また彼女を見つめた。
    「うちの母さんなら後でいい。墓参りで父さんに報告してから会いに行く。今日は兄さんに証人の欄に記入してもらいに行って、とにかく籍を入れる!」
     悠の思い入れは相当なものだった。
     この日の墓参りは延期になった。




     婚姻届を出してから二週間後、ようやく悠の休みが取れたので墓参りに行くことになった。涼太の認知届も提出したので三人はもう立派な家族だ。
    「報告することいっぱいで、父さんたち戸惑うかもな」
     そうのんびりと言ってから、悠は笑った。

     亜実はこの風景の中にいられることが、この上ない幸せだと思えた。
     夏空の下、日傘をさし、悠と手をつないで歩く。その前を涼太が走って行く。彼女の体を気遣ってくれる彼に寄り添って……。
     悠が呟く。
    「後は歩が無事に生まれて来てくれるのを待つだけだ。早く歩に会いたい」
     亜実はそんな悠の優しい雰囲気が大好きだった。
     ふと、彼が前方を見つめていることに気付く。悠は視線の先の女性を見て「母さん」と呟いた。

     涼太が駆けて行く靴音で、母が悠と亜実に気付いた。そして墓の前から立ちあがりながら二人を見た。
     母は疲れ切った表情をしていた。二人を見て余計にそういう顔つきになってしまったのかもしれない。母が悠に静かに尋ねた。
    「父さんやばあちゃんたちに会いに来たの?」
    「うん」
     悠はそのまま歩いて亜実を連れて母の傍まで行くと、あらためて墓に視線を向けた。
    「それと報告に。俺たち入籍したから」

     亜実の心臓が大きな音を立てる。
     突然こんなことを言われてお母さんは怒るかな。事後報告だし。

     しかし母は「そうなのね」と呟きながら小さく頷いて俯いた。亜実が恐れていたような強い確執は、そこに存在しなかった。
    「きっともう、おなかにいるのね」
     母はまるですべてを見通しているかのように亜実を見つめた。戸惑いながら、そして緊張が解けないまま、亜実は頷いた。

    「名前は、もう、決めてあるんでしょう?」

     そんな言葉に、悠も亜実も驚いて母の顔を見つめた。
     母は微笑んで「なんていう名前にしたの?」と訊く。

    「……歩」
     悠は戸惑いながらも答えていた。

     亜実は二人のやりとりを一歩離れて見つめていた。
     母の態度に次々と不安が呼び起こされるのに、絶対にそれを口にしてはいけないような気がした。

    「そうなの。アユミ……。きっと悠にそっくりな、やんちゃ坊主ね」
     そう言う母の声は嬉しそうでもなんでもなく、今にも泣きそうに震えていた。

     悠は何も言わなかったが、亜実から見ても彼は明らかに動揺していた。悠のその反応はわかる。お母さんはどうして歩が男の子だと決めつけてるんだろう。

     母は二人に、墓の前の場所を譲った。悠と亜実は違和感をぬぐえないまま、持ってきた花やお供え物を置き、線香をたいて手を合わせた。


     そんな困惑の中にあっても、目を閉じると、感情が一時的に静まる。今日はここで伝えたい言葉があった。亜実は心の中で感謝と報告を繰り返す。
     墓に眠る、会ったことの無い悠の近しい人たち。
     彼にそっくりだという父の姿を思い描いた。

     そして、最後に尋ねた。

     私の居場所は正しいのですか。これで良かったのですか。
     歩のこと、涼太のことを、受け入れてくださいますか。


     悠もまた黙って目を閉じていた。彼は愛する人たちに、どんなふうに語りかけたのだろう。



     悠と亜実が報告を終えて立ちあがると、母は、
    「もう帰んなさい。こんなに暑い中じゃ体によくないわ。私はもう少し尚(なお)さんと話をしてから帰るから……」
    と二人を促した。
     悠は「わかった」とだけ返事をして、片手で涼太を抱き、片手で亜実の手を握って、その場を離れた。

     しばらく歩いて駐車場に着くと、悠は抱きかかえていた涼太をおろし車のドアを開けた。
     悠はエンジンをかけた後ゆっくり体を起こした。大人はともかくチャイルドシートに縛り付けられる涼太は辛い。車内が冷えるまでしばらく待つ。
     亜実は熱い車体を触っている涼太の手を取った。悠は熱気を逃がした後ドアを閉めた。

    「さっき、母さんが言ってた”ナオ”って、父さんの名前なんだ」
     亜実に向かって話しているのは分かるが、悠はなぜか彼女の顔を見ようとしない。亜実はその悠のぼんやりとした表情を黙って見ていた。
     彼は、少し間をあけてから続けた。
    「俺はいつだったか、母さんに訊いたことがある。父さんの名前って女みたいだけど、誰が付けたの?って。そしたら、あなたと同じだって言われた。……俺と一緒だとしたら、父さんはじいちゃんに名前をつけてもらったんだな。男でも女でもどっちでも使える名前を」
    「……うん……そうなるよね」
    「じいちゃんは早死にだった。そのじいちゃんの名は薫(かおる)だ。……その名もやっぱり、男でも女でも使える名前だと思わないか?」

     悠はゆっくりと視線だけを落としていく。

    「薫じいちゃんも、父親に男女どっちでも大丈夫な名前をつけられてる可能性もあるよな……」
    「え?」
     亜実は頭がついていかずに訊き返した。

    「じいちゃんは火事で死んだ。だから息子である父さんは、じいちゃんのために消防士なった。……俺は、父さんが癌で死んだから、父さんのために医者になった……」

    「じいちゃんも父さんも、子どもの名前をつける時、男女どっちでもいい名前を選んでる。それは、子供が生まれてくるまで、生きていられない何らかの予知があって……?……だとしたらさ……」


     悠は視線を下げたまま、単調な声で呟いた。

    「父さんのために職業を選んだ俺は……。そして、歩っていう男でも女でも使える名前を選んだ俺は……」


    「歩が生まれてくる時にはもう……」

    <母のこと> 第7話 物語

     母は独りになると、墓の前で俯き肩を落とした。
    「尚さん……」
     あまりにもひどいわ、と彼女は思った。
    「そっちはどんな世界なの?」
     蝉の声が彼女の言葉を遮る。

     白く輝く太陽が、青空を切り取りそこから光を溢れさせているように思えた。
     それは出口のようであり、入口のようでもある。
     もしそうだとしたら、その出入り口を通ってそっちの世界へ行けるのだろうか。

    「私を連れて行ってくれればいいのに」
     いくら溜息をついたところで、もう時計の針は戻らない。刻々とその時間は近づいてくる。
    「でも、体の痛みがまだ取れないのかしら。……私では、尚さんの役に立たないのね」
     掠れた自分の声が、まるで他人のもののように聞こえる。
     優しかった尚の、病床の最後の笑顔を思い出す。
    「ねえ、尚さん。あなたはもう、亡くなってしまったのよ……」
     あなたを忘れたわけじゃないの。でもね、私は悠も大切なの。

    「お願い、たとえ悠でも亡くなってしまったあなたのことは治せないから。だから……」
     母は自分を責め、頭を抱えるようにして号泣した。
    「悠を……、……、連れて行かないで……」




     その連鎖は、一体いつから始まっていたのだろう。
     彼女がそのことに気付くまで、29年かかった。


     栖河基美はその時、妊娠30週に入っていた。
     夫である栖河尚は嬉しそうに彼女のお腹に手をあてていた。基美の顔を見て彼は、はにかむように笑った。
    「なあ、基美」
     尚の優しい顔が傍にあった。
    「今、幸せ?」
    「あたりまえです!」
     今さらそんなこと言わせないでよ、と基美は恥ずかしくなった。

     尚のひざの上には、べったりと甘える雅一がいた。
     尚と雅一は、本当に他人なのかと疑いたくなるほどに仲がいい。きっとお腹の子が生まれても、この人なら実の子とわけ隔てなく愛してくれるだろう。
     結婚に強く反対していた義母も、基美が妊娠したのをきっかけに何も言わなくなった。赤ちゃんのパワーはすごい。基美はお腹の子どもに感謝していた。

    「尚さあん」
     雅一が、基美と同じようにサンづけで尚を呼ぶと、彼はとても嬉しそうに目を細める。
    「おまえ、そろそろ父さんって呼べよ……。で、なんだ、遊びに行くか?」
    「うん、行こう! 消防車見に行こう!」
    「それは、遊びに行くとこじゃなくて……職場なんだけどなあ。休みの日に行きたくないなあ」
     そう言いながらも尚は、雅一の望みを全て叶えようとする。甘やかすのはやめてと言ったが、かわいいからしょうがない、と反論された。そんなことを言われたら、基美も嬉しくなってそれ以上何も言えなくなってしまう。

    「ねえ、ご飯食べてからにしたら?」
     基美は昼食をテーブルに並べた。
    「そうだぞ、雅一。ちゃんと食べたら連れてってやる」
     尚が雅一の頭をメチャクチャに撫でた。雅一はまた嬉しそうに尚を見上げている。
    「尚さんもですよ!」
     思わず基美が言うと「俺はいいよ。若い時ならいざ知らず、じきに30になるし節制しないと」と彼は笑った。

     なんだか変だなと基美は思っていた。
     尚は鍛えてはいるものの、どちらかと言えば痩せ型だったから。でも彼はいつも元気に雅一の相手をしながら幸せそうにニコニコしている。そして実際に幸せだと何度も口にする。だから思い過ごしなんだろうと思っていた。

    「俺はね、お腹の子もそうだけど、雅一を連れて来てくれた基美に感謝してるんだ。夫としてだけでなく、いきなり父親の幸せをくれた。頑張れるんだよ。父親だと思うとね。二倍くらい頑張れる……」
    「そんな単純な計算なんですか?」
     尚が感慨深げに言うので、基美は笑った。幸せなのは尚だけではない。一緒にいる基美も雅一も幸せで、何一つ不満の無い生活だった。

     尚が倒れるまで。



     病院のベッドでも、尚は笑顔だった。毎日やってくる雅一を抱きしめ、基美にお腹の子の様子を訊く。
     基美は彼の前でも雅一の前でも泣けなくて、病室を出てトイレで泣いた。


    「無理ですね」
     消化器内科の医師は冷たく言った。
    「何度も言うようですが、ステージⅣ(*1)です。その上、ご本人が治療を拒否されてますし、こちらとしては何にもできません。ご自宅に帰られますか? それとも終末期医療を受けますか? 紹介状はいくらでも書きますよ。満床なので、治る患者さんのために移っていただきたいんですよ」
     この若い医師に会うたびに、強い憤りが基美の中に湧き上がる。
     専門家がここまではっきりと無理だと言うなら諦めなくてはいけない、とは思う。でも、こんな事務的な言い方があるだろうか。たとえ望みがなくても、最後まで尚のために努力してくれたっていいじゃないか。その姿だけで納得できるのに。
     医師はただ、余命1か月と告げただけだ。
     尚は、ホスピス病棟へ移り、緩和ケアを受けた。

     ある日、尚は言った。
    「ユウにしないか? 女の子なら、優しいっていう字、男の子ならハルカっていう字。悠久のユウだよ」
     尚は痩せた手で基美のお腹に触れた。
    「この子だよ。名前、考えてたんだ、ずっと」
     その日の夜、彼は意識が消え、そのまま戻って来なかった。



     栖河尚が亡くなって二カ月。生まれたばかりの悠を抱いて、基美は呆然としていた。尚はまだ、30歳になったばかりだった。結婚して一年にも満たない。
     四十九日が終わっても何も考えられない。どうすればいいのかわからない。
     義母は何も言わず基美の背中を優しく撫でてくれた。雅一も基美の悲しみをわかっているようだった。あれほど好きだった尚のことは口にせず、悠のことばかり気にする。たとえ5歳でも、男の子はこんなにも強いのか。それはきっと病床の尚の姿が、雅一に与えた強さかもしれない。

     基美は親戚の目が怖かった。
     義母だけは基美に優しくしてくれたが、尚の周囲の人は彼を愛していた分だけやりきれない表情を浮かべる。直接ひどい言葉を吐かれるわけでは無いが、慰めてくれるわけでもない。
     尚の傍に居ながら、病気が悪化していても気付かなかった嫁に、何も言うことは無いようだった。



     ただ、日に日に大きくなる悠は、時々、尚を思い出させるような目をした。

     仕事をしている基美は悠を保育所に預けていた。あまり構ってやれないのに、悠は怒ることも拗ねることもない。家で子どもたちに留守番させる時も、機嫌よく雅一と遊んでいる。

     それは、雅一が10歳、悠が5歳の夏のことだった。

     もとから面倒見のいい雅一は、その日も保育所に付き添ってくれた。
     帰り道、いつものように悠は基美と雅一の間に入って手をつなぐ。雅一としりとりをしていた悠だったが、ふと基美を見上げて言った。

    「ねえ、今、幸せ?」

     基美は思わず悠の目を見て立ち止まってしまった。
     尚の目だ。この子の中には尚がいるんだ。



     泣いてはいけないのに、涙が止まらなかった。
     雅一が心配してしまう。悠も心配する。だから涙なんて見せてはいけないのに、基美はうずくまってしばらく動けなかった。
    「おかあさん、大丈夫? おなか痛いの?」
     悠が、うずくまる基美の頭を撫でて言った。


    「僕がお医者さんになって、おとうさんを生き返らせて、おかあさんを助けてあげるね」


     悠の頭を、雅一が「優しいな!」と言ってしきりに撫でていた。



     義母は小学生の悠を本当に可愛がってくれた。
     きっと義母もまた、悠の中に尚がいるんだと感じたのではないだろうか。でも、基美は義母に強く言われた。
    「絶対に悠を医者にはしないでね」
     医者にするなんて一言も言っていないのに、と基美は不思議に思った。

     ただ、尚を診た消化器内科の若い医者のことは一生忘れない。
     あんな、医者としても人としても未熟としか言いようのない人間に、愛する人の命を預けたくはなかった。悲しみは一生消えない。
     悠がもし本当に医者になってくれるというなら、必死になって働いて学費を貯めて医大へ進学させたい。そして、たくさんの人を救ってくれる医者になってほしい。義母だって、生きられなかった尚の悔しさが分かるはず。

     しかし義母は、その後、信じられないことを言った。
    「それから、子どもがいる女性とは結婚させないで」

     それはまさに、基美に対する嫌味だった。
     義母だって子連れで結婚したと聞いているのに、どうしてそんなことを言うんだと悔しくて仕方がなかった。
     義母もまた皆と同様に、基美が雅一のことにかかりきりで、尚の病気に気付けなかったと思って責めているんだ。

     基美はそれ以来、義母とも会おうとはしなくなった。
     何が何でも二人の子どもを立派に育ててみせる。どんな女性と結婚しようと干渉しない。子どもたちの幸せを最優先させる。



     悠が24歳を過ぎた頃、研修医になったことを知った義母は、基美に電話をかけて来た。
    「尚はね、私が殺してしまったようなもの。消防士にさせるんじゃなかった。火事で亡くなった夫が、尚を連れて行ったのよ。私はそれを手助けしてしまった……」


     その時の基美は意味がよくわからなかった。

     悠が28を過ぎて、やせ細っていく姿を見て、初めて危機感を覚えた。しかし、その時にはもう、義母は他界していた。


     義母が言った言葉を思い出す。
     もっと早く義母の言葉に耳を傾けていればよかった。
     子どものいる女性と付き合わせてはいけないと言った理由も今ではわかる。
     父親になった喜びで、尚は二倍も頑張ってしまった。
     良い父であろうとして、あるいは雅一の喜ぶ顔が見たくて、無理して頑張ったんだ。
     彼の傍にいるのが妻だけなら……夫だけの役割だったとしたら、もっと弱音を吐いていたかも知れなかった。

     このままだと悠も、父親のために天国へ行かねばならなくなる。
     全部、医者にしてしまった私のせいだ。





    *1 ステージⅣ……胃癌のステージⅣの状態は、遠隔転移/肝臓・肺・腹膜などに転移しているなど。

    <母のこと> 第8話 そこにある命

    「そんなのさ、たまたまだよ。考えすぎだと思う。カオルおじいちゃんの名前が男の子にも女の子にも使える名前だとしても、そういう……死ぬ前に……とか……想像でしかないんでしょう? あくまで可能性の問題でしょ?」
     墓参りから帰宅した亜実は、悠に向かって言った。
     だいたいそんなこと非科学的だし、職業とか名前とかで死ぬなんて意味がわからない、とまくしたてた。

     機嫌の悪い彼女を見て、悠は苦笑する。
    「うん、まあ……想像って言われたらそうかな。ばあちゃんはもういないし、母さんもじいちゃんの名前のことまで知らないだろうし、単に類似点があったっていうだけ。別にもう気にしてないよ」
     そして、涼太を抱きしめながら、「涼太と歩が中性脂肪で悩むまでは生きて見届ける」とニヤリと笑った。


     悠にはくだらない事を気にしないでと言ったものの、亜実自身はショックで食事もできなかった。悠にちゃんと食えと叱られる始末。占いのことも気になるし、悠の体調にも不安を感じた。

    「悠くん、あのね……一応、健康診断とか、受けない?」
     亜実は夜、隣で眠りかけた悠に小さな声で言った。悠は目をパチパチさせて亜実を見つめた。
    「ああ……」
     彼は笑みを浮かべた。
    「定期的に受けてるけど。そうだな……それで亜実の不安が解消できるなら受けるよ」
     亜実の安堵した顔を見て、悠はふふと笑っていた。



     3か月ほど経った秋の終わり、悠は人間ドッグより詳しいのではないかという結果を持って帰ってきた。
     小児科、産婦人科、整形、リハビリ科などの悠に関係の無い診察科を除いて、全ての診察科を時間を見つけて一つ一つ回ったらしい。
     長くかかったがしっかり調べてもらったと彼は言った。持つべきものは友人だなと笑っていた。結果はすべて問題なし。判定Aだった。やや疲れ気味ということだった。
    「これ、悠くんが書き直したわけじゃないよね」
    「するわけないだろ。俺も医者だぞ。病気を見つけた時点で治療に専念する。涼太と歩のためにさっさと治す」
     そして悠は付け加えた。

     たとえステージⅣでも生きる道はある。諦めるのは最後だ。

     俺なら、父さんをちゃんと診てやれたと思う、と。




     彼は涼太が眠りに就いた後、その顔を愛おしそうに見つめながら言った。
    「俺はさ、亜実に感謝してるんだ。涼太に会わせてくれただろ?」
     亜実は、そんなことを言う悠の横顔を見ていた。とても幸せそうに微笑んでいる。
    「歩を授かる前に、最初から父親としての幸せをくれた。俺は亜実だけでなく、涼太の存在にも励まされたんだ。200%くらい頑張れたよ」
    「涼太がいたから200%頑張ったんだね。じゃあ歩が生まれたら300%になるのかな?」
     悠はうーんと唸って苦笑した。
    「でも、三倍も頑張ったら天国行く羽目になりそう。二倍のままで許してくれないかな」



     夏に墓参りで会って以来、亜実は基美に気遣ってもらっているようだった。ようだ、と言うのは、悠からそういう話を聞くからだ。亜実が直接声をかけられたわけではない。
     基美はもう亜実の義母ははで、亜実や涼太に会いに行きたい気持ちを時々悠に漏らすという。ただ、息子は仕事で忙しい身だし、身重の嫁に迷惑をかけてもいけないから遠慮しているとのこと。

     それがこういう状態を生んでいる。
     夜、悠が勤務を終えた頃を見計らって、母が息子の携帯に電話をかけてくる。

     亜実にしてみれば、その場に自分がいなければまだ気にならないのだが、目の前で悠にかかってくる電話は、あまり気分のいいものではない。
     亜実は義母の気遣いでさえもストレスに感じていた。
     嫁としてちゃんと悠の健康を管理できているのか確かめられているような気がした。どれほど義母が遠慮気味にしていても、疑心暗鬼は消えなかった。

     時々悠は、母に医者を辞めてほしいと言われていたらしい。
     やっとこれから苦労が報われてゆくのに、今辞めるなんて考えられないと、悠は一蹴していた。
     それに関しては亜実も余計なお世話だと思っていた。悠のことは自分が一番近くで見ている。前ほど残業も無いし顔色だっていい。休みも多くなった。

     義母はいつまでも悠のことを小さな子どもだと思っているに違いない。息子に依存しすぎだ。



     涼太はクリスマスが誕生日なので、クリスマスと誕生日と年末年始がやってきて、12月は大忙しだった。そして1月。
    「今月は悠くんの誕生日も待ってるし、もう、この二カ月出費が多すぎる」
     亜実がグチると、悠は苦い顔をした。
    「俺の誕生日まで祝わなくていいよ。30になるし、ショックだから」
    「だよね」
    「だよねってなんだよ。でもさ、3月は歩も生まれるし何かと金が出て行くよなあ」
    「……うん……」
     悠は、彼の隣で寝ている亜実の大きくなったお腹に手を当てていたが、彼女の沈んだ声に顔を上げた。
    「どうしたんだよ。そんなに金無いのか?」
    「違う。……生まれたら、大変だなと思って」
     そんな亜実の言葉に悠は驚いていた。
     生まれてくるのを待ち焦がれていた彼だけに、亜実の気持ちが理解できないようだった。

    「だって……、おかあさん、きっと毎日来るんじゃない?」

     悠は彼女の顔を見ていたが、すぐに頷いた。
    「……わかった。もう気にならないようになんとかする」
     そう悠が言った翌日から、義母からの電話は無くなった。



     悠は、母の気持ちは理解しているつもりだった。でも、今は亜実を刺激すると早産になりかねない。できる限りストレスは与えたくない。

     昼間、時間を見つけて悠から母に電話をするようにした。
     母はいつも悠の体を心配していた。父が若くして病気で亡くなったのだから無理もない。どれだけ大丈夫だと言っても落ち着かないようだった。

     日がたつにつれて母の状態はエスカレートし、悠でさえ苦痛を感じ始めていた。
     特に誕生日を過ぎたあたりから、母は電話口で泣くようになった。

     いい加減にしてほしい。もしかするとウツになっているんじゃないだろうか。
     だんだんおかしなことを言うようになったからだ。
    『尚さんが悠を連れて行ってしまう……』
     泣きながら言う母に、悠は閉口した。




     この冬一番の寒さだと言われた2月のある日のことだった。
     この頃、来月に出産を控え亜実は毎週の健診を受けなくてはならない。
     悠はもうすぐ生まれてくる歩への期待で胸がいっぱいだった。そして亜実の出産の負担を考え、自分が休みの日にはできるだけのことをしてあげたいと思っていた。
     平日には休めないので健診に付き合ってやれない。その分、日曜には涼太と三人で近くの公園まで散歩した。
     寒いので亜実は何枚も服を着てお腹も腹巻やら厚手の下着やらで完全防備だった。医師から運動するよう言われているらしく、外に出るのは嫌がらなかった。
    「今日はちょっと違う道を歩かないか? いつも同じ道じゃ飽きるだろ」
     悠は亜実に言った。
    「でも、遠くに行くのは怖いし……」
    「遠くない。駅までだったらいつもの距離とかわらない。駅の近くに新しくスイーツの店ができたんだ。ずっと食べるの我慢してるんだろ?」
    「うん」
     悠は亜実の喜ぶ顔が見たかった。
    「きっと少しくらいなら食べてもいいって。我慢してストレス溜める方がどうかと思うよ。先生には内緒にしとけばいい」
     亜実は嬉しそうな顔で「そうかな、そうだよね」と言った。涼太もケーキが食べたいと言った。
     三人は駅への道を歩き始めた。


     駅の傍の新しい店で、亜実と涼太は満足気にはしゃいでいた。その顔を見るだけで悠は幸せだなあと思っていた。一生守っていこう、そんな気持ちが心の中に溢れる。
    「なあ、亜実」
    「ん??」
     涼太と半分こにしたケーキを口にしている亜実が、悠の顔を見た。
    「俺だけじゃないよな。みんな幸せだよな」
     そんなことが、つい口から出た。彼女は頷いて笑みを浮かべた。
    「うん、幸せだね」

     二人が店を出ると日曜なので駅周辺には人が集まっている。大きな道の端には最近はめっきり見かけなくなった電話ボックスが一基、ぽつんと立っていた。
    「珍しいよね」
    「駅の近くなら、たまに見かけるよ」
     悠が亜実と話していると、涼太が悠の手から離れてその電話ボックスに入ろうとしていた。ガラス張りで狭い場所は、好奇心をくすぐるものだったのだろう。
    「もう、涼太、そこは遊ぶところじゃないの!」
     亜実が電話ボックスに近づいてドアを開けていた。悠もまた、亜実に続いてボックスの傍に歩いていった。
    「いいんじゃないか? あんまり使う人もいないし」
     悠は笑いながら、亜実に引きずり出されかけている涼太を見ていた。

     電話ボックスは、左側から引き開けるとドアの真ん中辺りがボックスの内側へと凹み、右側へとたたまれて開く仕組みになっている。
     外から大人の力で引いて開けられると、涼太にはドアを内側へ引き戻すだけの力は無い。内側に凹む折りたたみ部分を、凹まないように足でぐっと外に向かって押し返せば、亜実が引っ張ってもドアを右側へたためず開けられないのだが、5歳の涼太はそこまで気付かないようだ。

    「亜実、あんまり力いれると歩が出てくるぞ」
     悠が冗談を言うと、亜実は「そんなっ! 予定日まで出てこないで!」と言って、ボックスから出るまいと抵抗していた涼太の手を放した。

     その時、駅の方角から何か騒がしい声が聞えてきた。
    「え?」
     悠が振り返ると、人がバタバタと目の前を走って逃げてゆくのが目に入った。
     まるで怪獣映画でも観ているような光景だった。

     悠はその異様な状況を目にして、扉の開いていた電話ボックスの中に涼太と亜実を押し込んだ。
    「ちょっと、悠くん!」
     亜実がボックスの中からドアを叩く。
     悠は外から開閉部の左側に立って入口を塞いだ。

     彼女が必死でドアを内側から押して出ようとする。しかしドアの左前に自分が立って背中で押さえつけていれば、扉は開けにくい。中にいるのは妊婦と子どもだ。ドアを押そうが叩こうが、内側から開けることはできないだろう。


     男が、街を歩く人々を追いかけて走って来る様子が、悠の目に映った。

     右手を高くあげている。
     その手には大きなナイフが握られている。

     悠はその瞬間、

     やはりそうなのか、と諦めた。

     男のギラギラと光る目が、電話ボックスの前に立つ悠を見つけた。





     亜実は目を見開いて体を震わせた。

     ボックスの中、とっさに涼太を背中に隠した。
     悪夢のような事が目の前で起きていた。
     もう、閉じられているドアを叩くどころか、立っていられなくなり、身を縮めてその狭い場所でうずくまった。それでも涼太の頭だけはしっかりと抱きしめる。決して見せてはいけない。

     その場所はガラス張りだ。見たくないのに見えてしまう。
     どんなに叫びたくても、亜実の口からは声が出なかった。

     悠の体は、
     赤く染まってもボックスの前から動かず、
     外から誰も中へ入れぬように入口を塞いでいた。

    <大切な君のこと> 第9話 同じ途(みち)

     亜実はベッドの上でゆっくりと呼吸をした。
     仰向けで寝るのは辛い。
     大きくなったお腹を布団に預けるように横を向く。


     ナイフを持った男に襲われた悠を、亜実は目の前で見ていた。
     急いで救急を呼んだのに、腹部を何度も刺された出血性ショック死(*1)と言われた。
     悠が彼の病院に運び込まれたのは、もう亡くなってしまった後だった。涼太も歩も自分も助かったのは、悠が守ってくれたおかげだ。

     まさかとは思っていたが、やはりそうなのか。
     亜実は半信半疑だったが、実際に悠は30歳で亡くなってしまった。
     亜実は悠の体調不良を前から気にしていたせいで、彼を襲うのは病なんだと思い込んでいた。でも、そうとは限らなかったということなんだ。



     あの時の様子を亜実の脳は憶えているくせに、記憶回路が機能しなくなっていた。逃避し、解離して、どこかへ封印してしまおうとしていた。
     警察から戻って来た悠を見つめた。
     彼は静かに眠っていた。その顔を見た時の苦しみは忘れられないだろう。死ぬよりも辛い、そんなよくある表現でしか人には伝えられなかった。



     苦しくて悲しくて泣いていると、亜実のお腹の中でぐる、と歩が動く。
     亜実は自分が強い悲しみを抱いていると、その分、歩が苦しんでいることに気付いた。お腹の中で、歩も泣いている。
     あれほど歩が生まれてくるのを楽しみにしていた悠だ。きっと、もっとしっかりしろ、と怒るに違いない。
    「ごめんね、歩。……ごめんなさい、悠くん……」
     そう言ってお腹をさすりながら笑顔を作る。でも、涙は止まらなかった。



     亜実たち家族の悲しみが消えない日が続いていた。それでも、歩は無事に生まれて来た。
     歩を抱いた時、なぜか魂そのもののに触れているような気がした。
     亜実の腕の中で、熱く重く甘い香りの命がすやすやと眠る。

     産婦人科で同じ日に出産した人と仲良くなった。旦那さんと双方の家族が毎日のように赤ちゃんの顔を見に来る。その笑顔は途切れることはない。

     正直その幸福が妬ましかった。
     けれど、亜実が抱きしめている歩も、その人の赤ちゃんとなんら変わらない。
     同じように真新しい命で、同じように明日がやってくる。引け目や妬みを持っているのは、歩に対して失礼な気がした。


    「抱っこさせて!」
     亜実は自分からそう言って、仲良くなった新米ママに赤ちゃんを抱かせてもらった。
    「かわいいーっ! 女の子って、こんなにふわふわなんだね!」
     亜実が言うと、そのママも同じように歩を抱いて言った。
    「歩ちゃんもかわいいよ! しっかりしてるんだね。やっぱり男の子って、生まれた時から”男の子”って感じなんだねー」
    「そりゃ男の子なんだもん。男の子だよー」
     亜実は自分がこんな意味のわからないことを言って笑えるなんて不思議だなと思った。

     やはり男の子として生まれて来た歩。
     歩を抱くと心がほかほかする。
     抱いているのは亜実なのに、抱きしめられているような気がする。
     歩が彼女を守ってくれている。悲しみの中に沈んでいきそうな亜実を、その淵から助け出してくれる。

     涼太と義母が産婦人科にやってきて、初めて歩に対面した時の彼らの明るい笑顔がたまらなく嬉しかった。
     きっと歩も悠と同じく、たくさんの人と出逢い、たくさんの人を救うのだろうと思った。

     歩が最初に救ってくれたのは、まぎれもなく亜実たち家族三人だった。



     その後、亜実は義母と涼太と歩という4人での生活を選んだ。義母を独りにするなんて考えられなかった。
     もしも別々に暮らしたなら、自分は涼太や歩に救われるが、義母は悲しみから癒されることなく生きてゆくことになる。優しかった悠なら、そんな状況に母を置きたくはないだろう。
     これからは悠の代わりに自分が義母を助けよう。



     3歳になった歩は男の子とは思えぬ可愛らしさだった。
     保育所でも毎日女の子に囲まれて笑っている。男の子とも楽しそうに遊んでいるが、元気満々と言うより静かな子だった。悠の幼い頃もこんな感じだったのかなと想像する。
     しかし義母は首を傾げながら言う。
    「違うわねえ」
     歩が自宅のテーブルで折り紙を折っている姿を見て微笑む。
    「悠はね、私を困らせたりはしなかったけど、小さい頃からはっきり意見を言ったし、どちらかと言うと保育所ではやんちゃだった。男の子とばかり遊んでいたわね。だから、歩は悠に似たというより、亜実さんに似たんじゃないかしら」
     うーん、と亜実は返事に困った。亜実もかなり元気な子だった。はっきり言えば、怖がられていたくらいだ。

     歩は性格面だけでなく、容姿や顔も、あまり悠に似ていないような気がした。亜実にも似ていない。だから、可愛らしい天使をもらって来た、そんな不思議な感じがした。


     5歳くらいになると、歩はおとなしく可愛らしいだけでなく、周囲の人への優しさを見せ始めた。
     男の子らしく弱い立場の相手を庇い、慰めたりする。
     そんな思いやりのある優しい性格は、可愛い容姿と相まって人の心を引きつける。おかげで、さらに多くの人に愛され可愛がられる。
     それが子ども時代だけの純粋さだとしても、亜実にとっては涼太と共に大切な大切な宝物だった。



     外を歩く時、歩はいつも涼太と亜実の間に入って手をつないで帰る。涼太も、歩にメロメロだった。
    「ねえ、おかあさん」
     歩が亜実の顔を見上げた。
    「なに?」
     亜実が応えると、彼はニコっと笑った。
    「今、みんな幸せだね」
    「そうね。幸せだね」
     亜実はそんなことを言う歩が可愛らしくて頭を撫でた。涼太も同じように歩の頭を撫でた。

     ここに悠がいたなら、どんなに喜んでいただろう。
     考えても仕方がないけれど、悠に与えてもらい、彼に救われた命だから、やはり彼に会わせてあげたかったと強く思う。
     日が経つにつれ、歩は悠と共通点の無い性格だと思っていたのに、歩が発する言葉の中には、悠と同じような優しさが窺えるようになった。
     だからだろうか、そんな歩を見ていると、幼児ではないような気がする時がある。5歳だというのに亜実を困らせることもなく、物分かりが良すぎた。 だからだろうか、そんな歩を見ていると、幼児ではないような気がする時がある。5歳だというのに亜実を困らせることもなく、物分かりが良すぎた。



     歩は、歩きながら、いつものように亜実の顔を見上げて微笑んだ。
     彼は幼い声で言う。

    「これからもずっと幸せでいられるように、がんばるからね」

     亜実はその時、ドキッとして思わず立ち止まった。
     悠が話し掛けてくれているような気がしたのだ。




     歩は中学生になっても反抗期というものがなかった。
     反抗期の無い子は反って良くないと聞いた事がある。のびのびしていない、意思表示ができない、親に従属してるような、そんな子だと聞いていた。
     歩は人に対する思いやりもあるし、誠実な態度を取る。多くの友達もいる。それは幼い頃からの長所だと思っているのだが、単にいい子を演じているだけなんだろうか。周囲に気を遣っているせいなんだろうか。義母にも相談したが、同じように心配するだけで、わからないようだった。亜実は不安をぬぐえないまま彼を見守るしかなかった。

     そんな歩だったが、ことあるごとに、会ったことの無い父のことを口にする。
    「俺、父さんのことメチャクチャ尊敬してる。俺たちを助けてくれたことを一生みんなに自慢できる」

     歩は少しずつ体が大きくなり、どんどん大人びて行く。静かに微笑む様子は、何かを我慢している様には見えず、分別のある聡明な子だとしか思えない。
     亜実は彼を見ていて、不安に思う必要は無いんだと感じた。彼を信じていいのだと思えた。だって、悠の子なんだから。



     歩が高校3年の夏休みに突然、亜実と、彼の祖母である基美を前にして言った。
    「俺、警察官になるよ」
     勉強が好きで、どちらかと言うと華奢な歩がそんなことを言い出すなど、亜実も基美も考えていなかった。てっきり大学に進学するのだとい思っていた。それだけに二人とも愕然とした。

     歩は言う。
    「父さんを殺した奴はクスリで錯乱状態だったんだよね。だから俺、麻薬を取り締まる捜査官になろうとずっと思ってた。でも、大学出て捜査官を目指した所で、どこに配属されるかわからないだろ。待ってれば希望が通るのか、それもわからない。それなら、まず巡査として街にいる人の役にたちたい。父さんのような事件に、一番先に対応できる場所にいたい」

    「ちょっと待って、歩!」
     亜実が思わず声を上げる。
     基美は放心状態で歩を見つめ、目を見開いている。

     しかし、歩は感情に流されて言っているようには見えない。深く、思慮深い瞳をして言う。
    「1月に試験があるから、頑張って受かって警察学校に行く(*2)。高卒でいい。最短で警官になる」
     亜実は呆然として立ち直れないまま倒れそうになった。当然、基美も衝撃を受けていた。



     歩が生まれてすぐ、基美に懇願されていた。
     決して歩を警察官にはしないで、と。
     亜実は当然ながら、その話を一笑に付すことは出来なかった。あの墓参りの日に言った悠の言葉が思い出される。
    『俺は父さんのための職業を選んだから……』

     胃癌で亡くなった父のために医者になった悠は、父の病を治すために父のいる場所へと連れて行かれた、そんな風に基美は言った。
     知らない人が聞いたら、冗談にしか聞こえない言葉だ。
     でも、悠の父にも同様のことが起こっているのだから、基美の不安は頷ける。亜実だって、『そんなことはただの妄想だ』と終わらせて、万一、歩を失うようなことになったら後悔してもしきれない。
     ほかにもいろいろな職業がある。わざわざ警官という職業を選ばなくてもいいはずだ。写真くらいでしか知らない父をそこまで敬愛しているのは、亜実が悠のことを歩に話して聞かせてしまったからかもしれない。だとすると、歩に警察官という仕事を選ばせてしまったのは、自分なんだ。



     反省や後悔に苛まれる。
     自分が歩を導いてしまった。

     ただ、亜実の心は、同時に釈然としない感情も持ち合わせていた。
     自分の今の不安に対して、疑問を持っている。

     あの悠が、本当に歩を連れて行ったりするのだろうか。
     身を挺して私たちを守ってくれたというのに。






    *1 出血性ショック死……出血により体内を循環する血液が失われ、臓器に血が廻らなくなった状態。早期に治療が行われないと、組織の酸欠状態が進み、多臓器不全を起こして死に至る。

     ※ちなみに、失血死とは……体重65kgの人の場合、血液量はおよそ5kgで、そのうちの1kgの出血で瀕死の状態になり、2kgの出血で死亡する。止血処置をしなければならないが、体幹(腹部など)の場合は止血することができない。

    *2 警察官になるための一般的なルート……高校を卒業後、短大や大学へ進学し、警察官採用試験を受験、合格してから警察学校に入学する。
     警察官の採用に関しては、警察庁・皇宮警察本部・都道府県警察という分類がなされており、警察庁の場合には国家公務員として働く。警察庁に採用されるとなれば、いわゆるキャリア組(キャリア・準キャリア)としての採用となる。都道府県警察の場合には、そのようなキャリアではなく、市民の身近な警察官としての採用になる。また、身長、体重の制限がある。

    <大切な君のこと> 第10話 新しい扉

     基美は必死で警察官になるという歩を説得していた。
    「どうして、そこまで反対するの?」
     歩は祖母に、至極当然な質問をする。
     訊かれても、義母は本当のことを言うのをためらっている。きっと歩は信じないし呆れるだろうと思っているに違いない。その義母の気持ちには、亜実も同感だった。
    「警察学校はとても厳しいと聞くし、歩は体が細いから耐えられないとおもうのよ……」
     歩は祖母の心配そうな顔を見ながら微笑む。
    「そんなことは最初から分かってるよ。体も精神も強くなくちゃ務まらない。でもさ、俺にできるかどうかは、やってみなくちゃわからないだろ? もしだめなら、あらためて大学に入り直してもいいと思ってる。俺から父さんを奪ったような人間をつくらないために、できることは……するべきことは、ほかにもあると思うし」

     歩は祖母の、そして母の心の内など知らない。だから警察がだめならほかにも道を探す気らしい。
     それはそれで、また困る。父の命を救えたかもしれない救急救命士や、犯罪を無くすために尽くす政治家や、犯罪撲滅のための啓蒙活動をするNPOの一員や……警察官になれなかったとしても、彼は悠と同じ道をたどるのだろう。父親を救うための仕事を選んでしまうんだろう。

    「歩、もう亡くなってしまったお父さんのことで、将来を決めるのはやめようよ」
     亜実は歩を止めようとした。少しでもリスクは少ないほうがいい。
    「あなたの人生がお父さんのために縛られているのは、お父さんだって悲しむと思う」
     亜実の言うことを、歩は黙ったまま聞いていた。そして「わかったよ」と言った。彼は特に怒った様子はなく、不満げでもなく、静かに頷いただけだった。そのまま、歩は自分の部屋に戻っていった。


     自分の意見や要望は後回しにしがちな歩が、母や祖母にはっきりと許可を求めたということは、相当の決心があってのことだったと思われる。いつから歩はそんな事を考えていたのか。



     無事高校を卒業し、大学も合格して入学準備を整えていた3月末、歩は言った。
    「大学進学にかかった入学金とか、受験費用とか、そういうの給料でちゃんと返すよ」
     真面目な顔で言う歩を見て、亜実は嬉しく思った。
    「うん。今からそんなこと言うなんて歩はマジメだね。そんなことは、大学をちゃんと卒業して就職できてから考えればいいのに。在学中に無理にアルバイトとかもしなくていいんだよ?」
     悠の命の代償としては少なすぎるが、給付金や保険金を受け取っている。そして亜実はずっと働いてきたし、涼太も仕事をしている。今のところ歩がアルバイトなどしなくても、なんとか生活は維持できる。
    「おかあさん、ごめんね」
     歩は謝る。
     亜実は苦笑して首を横に振った。謝らなくてもいいのよ。親としては当然のこと。
     彼は亜実を見て微笑んだが、その口から出た言葉は喜びでも感謝でもなく、淡々とした報告だった。

    「せっかくお金を払ってもらったけど、俺、大学には行かない。警察官採用試験に合格したから」

     亜実は言葉を失ったまま、歩を見つめた。思わず訊きなおした。
    「採用試験……?」
    「うん。今日合格通知が来た。多分春から警察学校へ行けると思う。そしたら寮生活になる」
     呆然として、亜実はうわ言のように呟いた。
    「嘘でしょ、だってお母さん聞いてないし、承諾してないし……」
     歩は動揺する母に罪悪感を抱いたのか、伏し目がちに「親の承諾はいらないんだ」と言った。
    「学校って言っても給料がでるから、迷惑かけたお金はきちんと返すよ」
    「お金の問題じゃないの!」
    「わかってるよ」
     歩はすこし厳しい顔で言った。
    「でも、警察官になる。それは譲れないよ」




     どうしてなんだろう。これはもう昔から決まっていて、変えることができない未来なんだろうか。亜実や基美の力ではあらがえない、運命とかいうものなんだろうか。
     歩は一人の意志ある人間として、亜実や基美の手の届かない場所に行こうとしている。

     とうとう亜実は、歩が生まれてからずっと抱いていた不安を彼に伝えた。父の、そして祖父の悔しさを、知ってもらうしかもう彼を止める方法はないのだ。
    「この栖河のうちに生まれた男子はね、父親に関係する職業を選んでしまうと、……早く亡くなってしまうかもしれないの」
     母の告白を聞いても、歩は笑い飛ばしたり、動揺することはなかった。そして母を慰めるように穏やかな声で言う。
    「俺は大丈夫だよ」
     亜実はそんな歩の表情を見て、彼を引き留めるのはもう無理なんだと悟った。


     歩の言葉を信じて見送ろう。そして悠のことも信じよう。彼なら命と引き換えにした大切な歩のことを、きっと守ってくれるに違いない。
     歩は母の肩を揺する。励ますように。
    「心配しないで」

     基美の強い反対も、歩には通じなかった。
     彼がこれほど強硬な態度に出たことは今までになかった。最後まで自分の考えを押しとおそうした。それでも反対する祖母に対して、彼はそれ以上の説得はせず、ある日、黙って家を出た。





     歩はどうしているのだろう。
     自宅に警察の身元調査があったということは、無事警察学校に入校しているはずだけれど、連絡が取れないので亜実と基美は不安が無くならない。
     携帯電話の使用は禁止されているのだろうか。
     でもきっとそれだけではなく、彼自身、警察官になることを強く反対されていた家族に、連絡を取る気持ちがなかったのかもしれない。少しくらいは外泊できる日だってあるだろうに。

     数年経ち、もう亜実も基美も歩のことは考えないようにしていた。きっといつか帰って来てくれるはず。
     基美が体の調子を崩し始めたので、亜実も連絡の無い息子のことをずっと想って案じているわけにもいかなくなった。元気で頑張っていることを信じるしかなかった。





     その日、亜実は息子の涼太の前で疲れた顔でぼんやりとしていた。
     それは、基美の通夜の席だった。

     ここ数か月、基美はずっと病院暮らしで、最後は安らかに亡くなった。もう長くないだろうと覚悟していたが、本当に亡くなってしまうと、その喪失感で動けない。
     涼太は結婚して家族と住んでいる。もう亜実には、楽しみも悲しみも共有する相手がいない。

     喪主は基美と同居していた亜実だったが放心状態の彼女に代わって、基美の長男の雅一が涼太と共に務めを果たしてくれていた。彼らに感謝しつつ、葬儀場の隅で体を折りまげ、俯いて伏せていた。
     誰かが近づいてくる気配がした。
    「おかあさん、大丈夫?」
     涼太とは違う声が亜実に問いかける。
     顔を上げると、男性が腰を下ろして彼女の顔を見つめていた。そこには温かい笑顔があった。
    「歩?」
    「元気だして」
     にっこりと笑った彼は亜実の両手を握りしめた。


     あの女の子のように綺麗な容姿をしていた歩が、喪服を着て目の前にいた。
     ごつごつした手、みるからに逞しくなった体つき、日に灼けた顔。大人の男のにおいがして、もう自分の息子だとは思えなかった。そう言えば最後に歩の姿を見てから、もう、十年以上経っている。

     亜実は呆然と歩を見つめた。空虚な心の中に澄んだ秋の空が広がった。
     もう季節など感じることはなかったのに。
     もしかすると歩はまた、自分を救いに来てくれたのではないか。そんな気持ちが湧き起るのを止めることができなかった。

     涼太が亜実の前の男に気付いて驚いて飛んできた。
     弔問客が母を慰めてくれているのだから、挨拶しなければならないと思ったのだろう。しかし、その男が歩だと知って、涼太も絶句していた。
    「おまえ、今まで……」
    「ごめん、兄さん」
     歩は涼太に深々と頭を下げた。
     元々弟を誰よりかわいがっていた涼太は、歩に怒ることなどできなかった。
     涼太は無言のまま顔をしかめた。弟を叱らねばならないと思う気持ちと、懐かしく嬉しい気持ちで、複雑だったのだろう。


     歩と涼太は独りになった亜実のために、実家に泊まっていた。
     すぐに涼太と歩は幼いころのような関係に戻っていた。ぎこちなさも最初だけで、兄の家族自慢を歩がニコニコして聞いているという構図だった。

    「歩、もうおまえ、30になるんじゃないのか?」
     涼太は自分の年から引き算をして、歩に聞いた。
    「うん、もうすぐ」
    「感慨深いな。おまえも、父さんの年齢を越していくんだな」
     そんな事を言う涼太の前で、歩はにっこりと笑う。そして傍で黙っていた亜実に視線を向けた。

    「おかあさんと兄さんに会わせたい人がいるんだ」




     後日、歩が恋人の加藤遥果(かとうはるか)を連れて来た時、亜実はもう覚悟していた。
     遥果の傍には彼女にそっくりな可愛い子どもがいた。

     歩もまた、悠と同じ道を突き進んでいく。それはもう、亜実には止められない。疑いようのない栖河家の悲しい轍の上に歩はいるのだ。

     遥果が連れていた5歳だというその子は、綾世(あやせ)という名の女の子だった。

     涼太は歩の美しい恋人をほめちぎっていたが、亜実はさすがにそういう気分にはなれなかった。 「もう、お腹に赤ちゃんがいるんでしょう?」
     亜実は歩に尋ねた。尋ねたというより、確認だった。
    「……うん」
     歩と遥果は驚いた顔をしていた。
     その様子はやはり、昔の悠や亜実と同じだ。
    「名前はなんていうの?」
     歩は亜実の顔をじっと見つめた。
     すでに名前をつけていることを見通して尋ねてくる母に、困惑している。それでも、思い直したように微笑んで告げた。
    「男か女か聞いてなくて、でも、どちらでも通用する名前で良いのがあったから、それに決めたんだ」

     そうでしょうね。亜実はもう微笑むしかなかった。
     歩は遥果を見てから彼女のお腹に手をやった。
    「名前は、ジュンとミズキだよ」

    「ジュンとミズキ?」
     亜実が訊き返すと、歩は言った。
    「双子なんだ」

    <大切な君のこと> 第11話 大切な君のために

     双子か。
     赤ちゃんが二人生まれて来ることは何か意味があるのか、と亜実は考えたが、意味は無いような気がした。ただ、さらに驚くことがあった。
    「おかあさん、俺たちと一緒に暮らさない?」
     歩がそんなことを言い出したのだ。
     思わず亜実は遥果の顔を見た。遥果は恥ずかしそうにしていたが、甘えるように言った。
    「いきなり子どもが三人になっちゃうと、私の手に負えないんです。助けてください」

     もしかすると歩たちは、独りになってしまった亜実のことを気遣ってくれているのだろうか。
    「でもね……」
     亜実は当惑しながら二人の表情を見比べていたが、彼らの様子に嘘や欺瞞の色は微塵も見てとれない。
     亜実はふと思い返していた。
     歩は小さい時から優しく思い遣りのある子だった。今もその性格に変わりは無さそうだ。彼が選んだ遥果も、同じように優しく愛情に溢れた人なのかもしれない。
     彼女の中には、亜実が昔、基美に対して抱いていたような不愉快な思いは無いようだった。まだ会ったばかりなので、姑をうっとうしいと思っていないだけかもしれないが。

     今なら良好な関係を保てるかもしれない。どうするのが一番いいんだろう。彼女とは今後長い付き合いになるのだ。

     歩は亜実の戸惑う姿を前に、遠慮がちに微笑みながら言った。
    「ごめん。突然帰って来てそんなこと言われても困るよな。でもね、俺、今現場を離れて警察では新人を教育する立場なんだ。だから不規則な生活じゃないし、夜はきちんと帰って来る。あまり負担はかけないようにするから、昼間だけでも遥果を支えてほしいんだ」

     そうなのか。歩と一緒にいる時間が持てるのか。
     亜実は歩の申し出に、しばらく忘れていた感情が溢れていくのに気付いた。じんわりと目元に涙が浮かぶ。

     あの頃、基美が悠に会いたかった時間を奪ってしまった亜実なのに、自分はこんなに優しくされていいんだろうか。

     歩は言う。
    「今までがむしゃらにやってきて、おかあさんたちに何もしてやれないどころか、自分の都合で心配させてたのはわかってる。だから、これから少しずつ、その親不孝の償いをさせてほしい」
     そして彼は笑って付け足した。
    「孫と一緒の生活も悪くないよ」



     亜実は二人の申し出を断った。その代わり、二人の近くに住んで孫たちの面倒をみさせてほしいと伝えた。歩たちの生活を邪魔したくないという気持ちがあったからだ。
     歩と遥果は残念そうな顔をしていたが、無理に生活を変えさせるのもかわいそうだと理解したようで、亜実の提案を受け入れてくれた。


     亜実が二人の近くへ引っ越してきてしばらくすると、歩と遥果は結婚したいんだけど、と亜実に許可を求めてきた。
     すぐに「わかったわ」と亜実は笑った。
     ここで反対してどうなるというのだろう。

     彼らが結婚さえしなければ幸せな未来がやってくるとは限らない。
     歩は綾世やお腹の子のために体を酷使するだろうか。無理をして倒れるだろうか。いや、歩は違う。彼の毎日を見ていると先の先まで見据えて生きているような気がする。父のことを尊敬し感謝している歩だから、家族を大切にすることは自分が元気でいることなんだと知っているはずだ。
     もう亜実が歩に言うことなんてない。
     歩には、愛する人と少しでも長い時間を過ごしてほしい。誰だって、そうだ、栖河の人間ではなくても、誰だって明日を生きられる保証なんてない。いつ家族と別れる日がくるのか誰もわからないのだ。
     今は心から歩と遥果の幸せを願う。どんな明日も、笑って迎えられるように。




     遥果の出産が近くなったころ、歩が亜実に言った。
    「実は友達に誘われてて、今度の週末、山に行ってくるよ。その間、遥果のこと頼んでもいいかな。もう臨月だし俺のいない間に遥果に何かあったら……って思うと心配なんだ」
    「それは構わないけど……」
     亜実は一抹の不安を感じた。
    「今行かなくちゃいけないの? 赤ちゃんが生まれてからにしない?」
     母の言葉に、歩も小さく頷いた。
    「うん……そうしたいんだけど前々から誘われてたし、多分子どもが生まれたら、あまり付き合いができないんじゃないかと思って……」
     彼の言うことは理解できる。でも、亜実はせめて遥果が出産するまでは、歩にできる限り危険な場所には行ってもらいたくなかった。

     悠のことが思い出される。突然の事故のような死は、彼にとってどれほど悔しかっただろう。彼の父である尚が、死を予感しながら亡くなったのとは違う。あっという間に家族との別れが来た。
     でも、それでも悠はまだ家族の近くで亡くなっただけましだった。もし歩が登山で遭難でもして命を落としたら、遠い場所で家族と離れたまま、そして体や魂が家族の元に戻れるかどうかわからないまま、亡くなってしまう。そんなことを考えたくはないけれど、どうしても不安はぬぐえない。
     歩には遥果の出産に立ち会ってほしいのだ。
     それだけで歩の未来が約束されたわけではない。でも少なくとも彼は、自分の子どもに逢うことができるのだ。会えずに亡くなるような無念さを繰り返してほしくない。

     母の気がかりな様子に、歩は迷っていた。
    「わかったよ。おかあさんが心配なら、行くのをやめる」
     亜実はその言葉に安堵した。
     そしてはっきりとは憶えていないが、同じような気遣いをしてもらったのをなんとなく思い出した。亜実の気持ちを一番に考えて、不安を取り除こうとしてくれた。
     そんな人は悠しかいないな、と亜実は考えていた。
     今更ながら彼の愛情の深さを感じる。いつまでも悠という人は亜実の心から消えない。消そうとも思わない。苦しくてもずっと忘れずに憶えていたい。


     そして、亜実も歩も遥果も、週末になって愕然とした。
     歩が参加するはずだった登山。その友人たちのパーティが遭難したというニュースが流れた。春半ばでも雪は残っていて、滑落したと思われる時間から数時間経っていた。彼らはまだ見つからない。歩は事情を聞くために急いで職場に向かった。
     亜実は遥果が動揺するのを傍で支えていた。
    「大丈夫だから。歩が事故に遭ったわけじゃないのよ、しっかりして。これからもきっと歩は大丈夫だから」
     遥果の肩を抱いて、亜実は自分に言い聞かせるように呟いた。


     幸い、遭難した歩の友人たちは凍傷や骨折などはあったが、皆無事に帰って来た。

     その時、亜実は思い出した。
     悠が亜実の不安を解消するために健診を受けてくれたことを。そしてその結果で亜実を安心させてくれた。
     しかしその後、悠は全く想像しなかった事件で亡くなってしまったのだ。


     遥果には今、歩の父、悠の死の”前触れ”について教えることはできない。
     歩が今回助かったことに、安易に安心してはいけないんだ、なんて。






     そして、その後。

     亜実が憂慮していた事態は起こらなかった。
     歩は30歳を過ぎても元気でいられた。無事、双子の出産に立ち会うこともできた。何事も無く幸福が訪れたのはきっと、悠が歩を守ってくれたに違いない。
     歩は31の誕生日、32の誕生日と、穏やかな日々を過ごしていった。



     歩と遥果と、綾世と純と瑞希。
     亜実は、彼らと一緒に墓を訪れた。毎年数回訪れてはいたが、歩が35歳になり、やっと最近、彼らの幸せな未来を確信できるようになった。息子の死を疑わずにすむようになった。
     墓の前で手を合わせ、悠や基美そして、会ったことのない栖河の人々に感謝の言葉を捧げた。


     歩の子どもたちと手をつないで歩く。
     双子として生まれて来た純も瑞希も、ともに女の子だった。もう、栖河に男子が生まれなかったということは、悲しい連鎖は切れた。



     亜実は歩に言った。
    「お父さんは、あなたを助けたのよ」

     その時は、遥果と子どもたちが亜実と歩の傍から離れていた。この話をするのにはちょうどいい機会だと、亜実は思った。

    「……恐ろしい犯人からも、恐ろしい因縁からも歩を守った。きっと会えなかったけれど、歩の命を助けることで、あなたの家族、遥果さんや孫たちまで悲しませたくなかったんだわ」
     歩は母の言葉を黙って聴いていた。

     亜実は息子に言う。悠を思い出しながら。
    「あの人は、歩と同じでとても優しい人だった。お父さんが……あなたを連れて行くはずなんてなかったのよ。本当に大切に大切にあなたのことを想っていたんだから……」



     歩はそっと母に近づいた。
    「違うよ、おかあさん」

     彼は亜実の目を見て言う。

    「父さんが一番大切に想っていたのは、おかあさんのことなんだよ」

     亜実は戸惑いながら、悠と同じように背の高い彼を見上げた。




    「父さんはおかあさんに、これ以上の悲しい思いをさせたくなかった。ずっとおかあさんを大切にしたかったんだよ。……でもできなかった。俺はね、父さんの気持ちがわかる」

     子どもの頃から見ていたはずの歩の優しい笑顔に、どこか違う懐かしさを感じた。

    「ちゃんと歩を育ててくれてありがとう。ずっと母さんの傍にいて面倒見てくれてありがとう。歩に、一生君を守らせるから。……そう言ってる」


     歩を生かしてくれたのは、
     ……私のために?


    「俺の中に父さんがいる。俺はおかあさんが、とても好きなんだよ、知らなかった?」


     亜実は息子と、息子の中の愛しい夫を想って泣き出した。



    「歩……」
     涙が止まらない。

     歩。
     ……悠くん?




    「困ったな……泣くなよ……。泣かなくていいんだよ」

     歩は、
     あの日の悠と同じように、

     亜実の頭を撫でて、苦笑した。






    <END> この続きに<あとがき>があります。

    あとがき

    まだこの話をお読みいただいていない方へ。
    以下は、完全なネタバレです。
    これを見てしまうと、全く読む必要がなくなってしまいます……。


    //////////////////////////////////////////////////////////

    ≪すべての人物と関係≫ ※話の中に登場しない人を含む 年齢:降順


    栖河 薫……悠の祖父<鉄道運転士>///登場せず<享年30歳:火事>
    栖河 泉(いずみ)……悠の祖母///享年83歳

    悠の伯父///年齢等設定せず
    栖河 ヤスコ……悠の伯母///年齢等設定せず
    栖河 尚……悠の父 薫と泉の息子<消防士>///<享年30歳:病気>
    栖河(北田)基美……悠の母・尚の妻///享年85歳/登場時年齢54歳

    栖河(北田)雅一……基美の息子///登場時年齢34歳
    雅一の妻///登場せず
    栖河 悠……主人公/尚と基美の息子<医師>///<享年30歳:犯罪>登場時年齢29歳
    栖河(生島)亜実……後半の主人公/悠の妻///登場時年齢23歳

    栖河(生島)涼太……亜実の息子///登場時年齢3歳
    涼太の妻///登場せず
    栖河 歩……悠と亜実の息子<警官>///9話以降28歳
      栖河(加藤)遥果……歩の妻///登場時年齢23歳

    栖河(加藤)綾世……遥果の娘///純らの5歳上
    栖河 純……歩と遥果の娘///最終話5歳
    栖河 瑞希……歩と遥果の娘///最終話5歳



    という、栖河さん一家の親子の物語になります。
    奇妙な連鎖の話です。
    男子短命の家系。しかも男しか生まれないという。
    でも歩の時代で女子が生まれたのでこの連鎖は切れます。
    ノートに家系図を書いてはいますが、この4世代以前から続いていたというある意味呪われていた一家です(多分薫さんのお父さんは列車事故で亡くなってます)。なので、実在する名字だったらどうしようかと思いながら書きました。多分無い……はず。いらっしゃったらごめんなさい。


    この話は、どちらかと言うと死んでいく男性より、残された女性の方が辛い話で、思い浮かべたのは、戦地に夫や息子を送り出す妻や母のような気持ちかな。
    自分の愛する人が死ぬとわかっていても何もできないって、辛いですよね。



    ---------------------------------
    ※2021年11月追記
    現在、医療をめぐる環境は、新型コロナの影響などを受け非常に危機的な状況にあると思われます。
    この作品を書いたのは2016年の9月であり、現在の状況とは合致しない点が多々あります。それでなくとも医療は常に進歩しており、当時は問題であった点も問題でなく、不可能は可能になっているのかもしれません。
    医療関係の知識がない作者は、その時点で精一杯調べた結果を書いて作品を作り上げたのですが、現在では通用しない常識であったりすることもあるかと思いますが、そこのところ、どうかご容赦頂きたく。
    何卒、お願い申し上げます。

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